東京六大学野球リーグの4年生の進路がほぼ出そろった。4年春に最速153キロをマークし、六大学通算42試合で6勝を挙げた慶大・高橋亮吾投手は、自社養成パイロットとして全日空に進む。野球を続ける選択もある中で「4年間と決めていたからやりきれた」と未練はない。まずは副操縦士として、その先には機長として、大空を飛ぶ新たな目標に挑戦していく。
野球より新たな挑戦を選んだ。高橋亮はリーグ戦通算42試合に登板し、6勝4敗、防御率2・59の好成績を残した。3年春には開幕投手も務めた最速153キロ右腕は、「大学4年間で野球はやりきって、やめようと思っていた」と、晴れやかに話した。
子供の頃から憧れていたパイロット。1学年先輩で同部屋だった田中裕貴さんが全日空に進んだことで、職業として意識した。
「子供の頃、空港で見る姿が格好いいと思っていた。選考が進む中で、よりやりたいと思うようになりました」。入社から2年程度は地上研修で、本格的な訓練は3年目から。そこから2年を超える訓練を受け、まずは副操縦士として搭乗することが当面の目標だ。
慶応湘南藤沢高で3年夏は神奈川大会4回戦敗退。投手だったが球速も計ったことはなく、大学入学時は外野手としてプレーした。チーム事情から、1年夏に試しにブルペンで投げると146キロを計測。「投手の方が早く試合に出られるかも」と、投手再挑戦を決意した。フォームなど初めて本格的な指導を受けると急成長。2年春からは主力としてマウンドに上がるようになった。
最後は腰痛でベンチ入りできなかったが、明治神宮大会では人生初の日本一も経験した。「漠然と過ごしても成長はない。社会人になっても一日一日、一つ一つできるようになれば。4年間やってきた。それは生きるんじゃないかと思っています」。ひたむきに目標へ向かう日々の大切さを、新たなフィールドでも体現していく。(山口 泰史)
◆高橋 亮吾(たかはし・りょうご)1997年9月19日、横浜市生まれ。22歳。久木小1年から野球を始め、慶応湘南藤沢中では軟式で捕手。慶応湘南藤沢高では1年春からベンチ入り。2年春から投手を始め、3年春には神奈川県大会16強まで進んだ。慶大では1年秋に公式戦デビュー。座右の銘は「目標がその日その日を支配する」。180センチ、92キロ。右投右打。O型。家族は両親と兄姉。