【あの時・日本レコード大賞<10>】ジュディ・オング、母の「良かったね」で我に返った

スポーツ報知
当時を振り返るジュディ・オング

◆ジュディ・オング(79年大賞)

 “大みそかはレコ大と紅白”がお茶の間の定番だった。1959年にスタートした日本歌謡界最大の音楽イベント「日本レコード大賞」が今年、令和に入って第1回目となる。12組の歌手や作家が当時を振り返る。(この連載は2018年12月にスポーツ報知掲載の復刻)
 ※「第61回日本レコード大賞」は12月30日午後5時半からTBS系で放送される。

 79年に大賞を受賞したのはジュディ・オングの「魅せられて」(作詩・阿木燿子、作曲・筒美京平)だ。広げた両手から生地が垂れ下がる特徴的なドレスも話題となり、曲は200万枚の大ヒットとなったが、レコーディングは難産だった。

 「筒美先生いわく『地声で歌うとギリシャの太陽、ファルセットで歌うとギリシャの風に聞こえる。風で行こう』って。それから毎日稽古ですが何回やってもOKでない。出だしの  南に向いている窓―の頭の“み”で止められちゃう。分からなくなってトイレに隠れたこともあります。この曲はCMソングでした。電通が『無名の人にしたい』というのをディレクターの酒井政利さんが私に歌わせたいから『名前を出さなきゃいいじゃない』と言ってくれて、初めは覆面歌手扱いでした。CMが流れると皆さんレコード店に行って『何とかエージアって誰が歌っているのか』っていう声がソニーにも返ってきて、電通からのOKも出て正式に名前が解禁になりました」

 ―大ヒットは実感できた。

 「この頃は時代劇で岡っ引き役をしていまして、太秦の撮影をしている時にマネジャーから『今日10万枚売れた』と言われて初めてヒットを感じました。一番実感したのは東京音楽祭です。『魅せられて ジュディ・オング』と紹介された時、『ワーッ』というお客さんの歓声で武道館が割れそうだったのには感激しました」

 この年は西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が日本歌謡大賞を獲得。だがレコ大では秀樹は「勇気があれば」でのノミネートだった。

 「“YMCA”は外国曲でレコ大には行けなかったんですね。秀樹ちゃんとは仲も良かったから歌謡大賞を取った時は『ああ、良かった』と口にしたら酒井さんには『キリっとしなさい』って怒られました。レコ大取ればソニーでは初めてだから周りの人間は目が血走っていましたね。社長の大賀(典雄)さんも『行け~』って感じでしたから」

 レコ大当日、楽屋ではちょっとしたハプニングが起こっていた。

 「ショーが始まって私に付いていた女の子が泣いているんですよ。どうもスタッフが手で作ったバツを見て、本人には内緒という意味合いを『落選』と勘違いしたのね。前触れがそっちの方向だったので『選ばれなくても…』と思っていたら私の名前が出たからビックリ。『本当に私なの』。母から『良かったね』と言われて我に返った時、手を支えてくれる人が秀樹で、階段までエスコートしてくれたのよ。あれはレコ大でも一番すてきなシーンだと思います。ステージで私の心の中で聞こえた言葉がありました。『泣いて声が出ないのはダメよ』っていうのが。私、自分にも厳しいんですが、やっぱりちょっと乱れましたね(笑い)」(構成 特別編集委員・国分敦)

 ◆ジュディ・オング 1950年1月24日、台湾出身。69歳。3歳で来日し、女優として11歳の時、日米合作映画「大津波」でデビュー。歌手デビューは16歳。70年代には「必殺からくり人」「江戸を斬る4」など時代劇にも多数出演。79年に「魅せられて」で日本レコード大賞を受賞。99年チャリティー公演「台湾大地震ハート・エイド」を開催。ボランティアにも意欲的でワールドビジョン・ジャパンの親善大使を務めている。

◆内定ドラマキャンセル

 「魅せられて」のヒットの裏で人生の転機があった。「私は『将軍』(米NBC大作ドラマ)のヒロインに内定していて、撮影が延期になる間に曲がヒットして、公演もいっぱい決まったの。そしたら先方が『全部キャンセルしろ』と。決まっているものへの礼儀から歌を取りました。苦しい決断でしたが、母が『選択をした自分を尊敬しなさい。2年後に放映された時に後悔しない自分でいなさい』と言って支えてくれました」

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