「前へ」箱根駅伝を走った明大ラグビー部OBが後輩ランナーへ金言エール

スポーツ報知
明大時代にラグビー部員ながら箱根駅伝に出場した佐藤勇さんは後輩ランナーに熱いエールを送った

 第96回箱根駅伝(来年1月2、3日)で5年ぶりのシード復活を目指す明大が14日、東京・世田谷区内の陸上競技場で練習を公開した。1956年の第32回箱根駅伝でラグビー部所属ながら9区を駆けた佐藤勇さん(83)は「前へ、という明大らしい走りをしてほしい」と熱いエールを送った。

 箱根駅伝を走ったラグビー部員。令和の時代では考えられない豪傑が昭和の時代にいた。1955年(昭和30年)、明大競走部はチーム内で紛争が起こり、一時解散した影響で長距離選手はわずか4人。東京・世田谷区八幡山の同じグラウンドで練習しているラグビー部に協力を求めた。「御大」と呼ばれる日本ラグビー界のレジェンド、北島忠治監督(当時54歳)はスタミナのある部員を9月から箱根駅伝が終わるまで約4か月間、競走部に“レンタル移籍”させることを決断した。そのひとりが、当時1年生のフルバック佐藤さんだった。「突然、明日から競走部に行って、箱根駅伝を走ってこい、と言われた。もちろん、問答無用です」。

 北島監督が、約100人のラグビー部員の中から駅伝ランナーの可能性を見いだしたのは、くしくも箱根の地だった。当時の夏合宿は箱根で行われおり、ほぼ毎日、仙石原から長尾峠まで往復約14キロ走という過酷なメニューがあったという。そこで力を示した9人の選手が競技の枠を超えた大胆なポジションチェンジを命じられた。

 明大は、このシーズンから始まった予選会をぎりぎり通過し、1956年、第32回箱根駅伝に出場。1~4区は競走部員、5~10区はラグビー部員だった。この年の箱根駅伝公式プログラムのサイドコーチ(実質、監督)の明大の欄には「北島忠治」の名が記されている。

 往路は最下位の15位に終わったが、ラグビー部員だけで挑んだ復路は13位の大健闘。総合14位だった。9区を走った佐藤さんは区間13位と踏ん張った。「ラグビーをするために秋田から明大に入学したのに、なぜ駅伝?と思ったけど、駅伝で鍛えられたお陰でラグビー選手として成長できた。北島先生はそれが分かっていたのでしょう」。ラグビー部に戻った後、4年生にして初めて1軍に昇格し、晴れ舞台の対抗戦にも2試合出場した佐藤さんはしみじみと思い出を語る。

 翌年以降、明大では競走部の部員不足が解消。ラグビー部の協力は、一度きりだった。

 ラグビー部員ながら箱根駅伝に出場した6選手の偉業は、ラグビーW杯日本大会で日本代表が初のベスト8を成し遂げ、ラグビーとラガーマンの魅力が脚光を浴びた今年、なお注目に値する。6選手のうちのひとりの佐藤さんは、60歳以上も後輩になる明大ランナーに語りかけるように話す。

 「北島先生が常におっしゃっていた『前へ』という言葉は明治大学のラグビーだけではなく、明治大学の駅伝にも通じるものだと思います。今度のお正月も後輩の皆さんの健闘を楽しみにしています」

 熱く、優しいエールは金言でもある。

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