阪急黄金時代支えた「ニチニチソウ」「ブーちゃん」…高井保弘さん評伝

76年8月、上田監督(左)、山田(右)とともにファンの声援に応える高井保弘さん
76年8月、上田監督(左)、山田(右)とともにファンの声援に応える高井保弘さん

 通算代打本塁打27本の世界記録を持つ元阪急(現オリックス)の高井保弘(たかい・やすひろ)氏が13日午前9時44分、腎不全のため兵庫・西宮市内の病院で亡くなった。74歳だった。通夜は14日午後6時から、葬儀・告別式は15日午後0時30分から、西宮市高畑町2の25「エテルノ西宮」で執り行われる。喪主は妻の安枝(やすえ)さん。「代打男」として一時代を築いた打撃職人が、静かに人生の幕を下ろした。

 代打で輝いた野球人生を高井氏は「ニチニチソウ(日々草)」と表現した。通算代打本塁打の記録より、本人が誇っていたのがウエスタン・リーグで放った通算71本塁打だったという。

 いかに下積み生活が長かったか、というより「これだけ下(2軍)で打っても1軍に上がれなかった」という黄金時代の阪急でもがいたもう一つの勲章だ。夏の暑さに強く、毎日新しい花をつけたニチニチソウを自分に例えた。

 1974年のオールスター第1戦で代打逆転サヨナラ2ランを放った際は「なんだか場違いなところにいるようで…」と戸惑い、賞品の山にも「狭い文化住宅なんで飾る場所がないんよ」と居並ぶスター選手の前で恐縮した。素朴な人柄、そして太めの体形から「ブーちゃん」と呼ばれ、愛された。

 巨人を4勝1敗で破った77年の日本シリーズ。第4戦(後楽園)で9回2死二塁から代打で左前へ同点打を放ったが、このときばかりは本塁打を狙わずにコンパクトに振り抜いたものだった。勝負師と呼ばれた背景には研究熱心な姿勢と分析力、判断力があった。

 最終的には27本の代打アーチ世界新記録を達成したが、黄金時代の阪急のレギュラーの半分にも届かない年俸に、他球団ファンから「名前は高い(高井)が給料は安い」とやじられたのもひと振りにかけた男らしいエピソード。その野球人生を「日陰の花でも、一生に一度はパッと咲くときがあるんだ」と胸を張ったという。

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