【箱根への道】筑波大・川瀬、医師も箱根も「夢」 医学群5年生の24歳「どちらも譲れない」

医学群で学ぶ川瀬(左から2人目=本人提供)
医学群で学ぶ川瀬(左から2人目=本人提供)
16キロ走で力走する筑波大・川瀬宙夢(カメラ・相川 和寛)
16キロ走で力走する筑波大・川瀬宙夢(カメラ・相川 和寛)
筑波大の戦力分析
筑波大の戦力分析

 第96回箱根駅伝(来年1月2、3日)で26年ぶりの晴れ舞台に立つ筑波大が11日、茨城・つくば市のキャンパスで練習を公開した。1920年に行われた第1回大会を制した東京高等師範学校の流れをくむ伝統校が100周年を迎える節目の大会で復活。6年制の医学群(他校では医学部)で学ぶ5年生の川瀬宙夢(ひろむ、24)は、解剖実習など多忙な生活を送りながら、最初で最後の箱根路を目指す。この日は法大などでも練習が公開された。

 箱根への道とドクターへの道。24歳の医学生は分野が全く異なる道を全力で走っている。「中学生の頃から箱根駅伝を走ることと医師になることが夢。どちらも譲れない。高校卒業後の進路を考えた時、両方を目指せるのが筑波大でした」と、川瀬は爽やかに話した。

 医学群5年生の24歳。多くの運命が重なって新春の夢舞台に立とうとしている。

 1浪の末、15年に入学したが、予選会で敗退が続いた。特に昨年は17位の惨敗。今夏前には4年生の前主将らが競技に対する考え方の違いなどを理由に、駅伝チームを離れるショッキングな出来事もあった。だが、新主将の大土手嵩(しゅう)ら3年生が中心となるチーム改革が奏功した。

 一気に強化が進み、予選会を6位で通過。26年ぶりの本戦出場を決めた。川瀬は1年時に予選会に出場しなかったため、本戦と予選会の出場4回以内という規定をクリア(同一年度の予選会と本戦出場は1回とカウント。年齢制限はなし)。最初で最後のチャンスを手にした。

 現在は病院実習もあり、多忙な日々を送る。「平日はチームメートと練習できることは少ない。でも、練習の目的意識を明確に持つことで競技力は上がっています」と、文武両道を貫く。

 医学生ならでは驚きの取り組みもある。「ご遺体を解剖させていただく時、筋肉はこうなっているのか、と体を理解できる。MRI(磁気共鳴画像)よりイメージできます」と説明する。高校時代まで多かった故障は年々、医学を深めることで激減した。

 チーム全員から一目置かれる存在だ。「川瀬がレースで失敗することはない。大人です」と、弘山勉監督(53)は絶大な信頼を寄せる。今後のチーム状態に応じて4、7、9、10区のいずれかに投入される見込みだ。

 川瀬は「将来はアスリートを支えるスポーツドクターになりたい。箱根駅伝を走ったドクターって格好いいですよね」と笑う。100周年を迎える箱根駅伝の長い歴史でも屈指の秀才ランナーとして名を残す。(竹内 達朗)

 ◆川瀬 宙夢(かわせ・ひろむ)1995年9月15日、愛知・刈谷市生まれ。24歳。小学5年生から陸上を始める。愛知県有数の進学校、刈谷高3年時に全国高校総体3000メートル障害出場。1浪を経て、国立難関の筑波大医学群に合格。4年時の昨季は主将を務めた。特技は意外にも「ポケモンを捕まえること」。175センチ、58キロ。

 ◆筑波大 1973年創部だが、ルーツははるかに古い。1872年設立の師範学校が前身。その後、東京師範学校、高等師範学校、東京高等師範学校(東京高師)に改称。戦後の49年、東京高師、東京文理科大など4校が統合され、東京教育大が開学。東京教育大は78年に閉学し、73年に開学した筑波大の母体となった。箱根駅伝には東京高師として1920年の第1回大会で優勝した。出場は前身の学校を含め延べ62回。そのうち、2大会は前身の学校が同時出場しているため、出場回数は60回とカウント(歴代10位タイ)。優勝は第1回だけ。タスキは黄色。

 ◆戦力分析 100周年の箱根駅伝に第1回大会覇者が復活。「感慨深い」とOBでもある弘山監督はしみじみと話す。冷静、かつ、熱く目標を語る。「予選会6位なので実力的には15番くらいだが、15位を目指すと言っても盛り上がらない。シード権を狙う」と話す。

 日本サッカー界NO1ストライカーの釜本邦茂さんを生んだ京都・山城高で2年時までサッカー部に所属していた西が1区候補。5区には前回、連合チームで区間13位相当で走った相馬が控える。26年ぶりの箱根路は易しくないが「伝統」を力に変えて10位を目指す。

医学群で学ぶ川瀬(左から2人目=本人提供)
16キロ走で力走する筑波大・川瀬宙夢(カメラ・相川 和寛)
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