世界水泳200自「銀」松元克央、「雑魚」から金カツオに!…地元では一番、名門入ったら勝てず「必死に食らいついた」

自身の愛称でもある「カツオ」を手に笑顔を見せる松元(カメラ・相川 和寛)
自身の愛称でもある「カツオ」を手に笑顔を見せる松元(カメラ・相川 和寛)
東京五輪への思いを語る松元
東京五輪への思いを語る松元

 東京五輪で、日本の競泳史に名を刻むであろう大器がいる。名前の漢字をもじった“カツオ”の愛称が浸透してきた松元克央(かつひろ、22)=セントラルスポーツ=だ。今夏の世界水泳男子200メートル自由形で銀メダルを獲得。世界選手権、五輪を通じて同種目で日本人初の表彰台に上がり、東京の金メダル候補にも名を連ねた。旬の男は、自称「雑魚」のポジションからはい上がってきた。(取材、構成=太田 倫)

 「第4コース、マツモトカツオ…」

 会場が、何とも言えない温かみのある笑いに包まれた。11月10日に静岡・富士市で行われた社会人選手権。場内アナウンスが、松元をついニックネームで呼んでしまった。当の本人も思わず噴き出した。快進撃で、愛称はすっかり定着した。

 「頂点ガツオを目指す」

 興奮冷めやらぬ表情で五輪の金メダルを宣言したのは、韓国・光州での世界水泳200メートル自由形で歴史を作った夏の夜だった。憧れの萩野公介が保持していた日本記録を0秒01更新する1分45秒22で銀。五輪、世界水泳の2大大会で、初めて日本人が同種目の表彰台に上がった。

 「すごく緊張したけど自信はあった。日本人の自由形でのイメージをなくしたかった。戦おうと本気で目指したら、戦えると証明したかった。ただメダルを取りたい一心だった」

 88年ソウル五輪100メートル背泳ぎ金メダルの鈴木大地(現スポーツ庁長官)らを育てた鈴木陽二コーチ(69)は186センチ、84キロというまな弟子の体格、心肺機能といった大器の素質を認める。何より「きつい練習から決して逃げない」という姿勢を評価する。

 いかにして「逃げない男」になり得たか。むしろ、かつては「逃げたがる少年」だった。水泳は5歳から。地元の金町SCで始めたが「練習がきつくて嫌いだった。なんでわざわざ行かないといけないのって」。小学5年で全国優勝し、五輪の夢を文集に書いたこともある。ただ、停滞した。中学時代も練習に身が入らず「水泳は二の次、三の次」。やめ時をどこかで探っていた。

 最初の転機は、千葉商大付高1年。1年生のインターハイで400メートルリレーのアンカーに抜てきされ、全国制覇を果たした。

 「先輩の足を引っ張りたくない思いだけで、練習を頑張った。頑張れば目標はかなうんだ、って」

 リレーメンバーには、名門のセントラルスポーツで腕を磨いている先輩がいた。その誘いで、移籍を考えた。五輪選手を輩出している岡田昌之コーチに直電した。

 「本当に緊張して、声が震えました。女の子に告白する10倍は緊張した」

 移籍を受け入れられ、五輪をぼんやり意識した。高校1年の冬だった。だが待っていたのは、ビターすぎる現実。同僚の実力もトレーニング量も、全てがケタ違いだった。

 「僕は結構持ち上げられていたんですよ。金町SCでは“すごい人”って感じで、練習でも一番強かった。で、セントラルに来た瞬間、もう“雑魚”です。練習でも何も勝てない。何にもできなかった」

 以前のカツオ少年なら、腰が引けていたかもしれない。「告白の10倍」の緊張は、内面に覚悟を生み出していた。

 「お願いしている立場なんで、諦めるわけにはいかない。必死で食らいつくことだけを考えていた」

 泳いでも泳いでもダメ出しの日々。16年リオ五輪前に行われたメキシコ合宿で、岡田コーチから初めて言われた。「お前、頑張ったよ」。ある意味、この一言のために踏みとどまってきた。移籍から約4年。自称“雑魚”は、たくましく変貌した。17年2月からは鈴木コーチに師事する。名将の課す練習は、質量ともに屈指と名高い。

 「世界水泳でメダル取る人に、逃げる人ってまずいない。逃げてる時間はない。目標をかなえたいのなら、逃げずに頑張るしかないんです」

 確信のないことは言わない。大言壮語はしない。そんな性格だ。練習を根拠に現実的な目標を立て、それを着実にクリアしてきた。そんな彼から「頂点」というワードが出てきた。鈴木コーチも、その変化を驚きと喜びを持って受け止めている。

 「メダルを取れて、さらにそれ以上を目指すようになった。それが一番変わった点。今までなら頂点を目指すとか、とてもじゃないけど自分で言わなかった。もともとスポーツは頂点を目指すのが一番いいところ。やはり五輪の金メダルは特別だと思うからね」

 200メートル自由形での課題は、胸突き八丁でもある100から150メートル。世界水泳では、ここで力をためる戦略を取った。スピードを保つことができれば、金メダルに手がかかる。優勝タイムは1分44秒台半ばと見ている。そのために逆算して、厳しい冬を過ごしている。

 鈴木コーチはめったに褒めてはくれない。定番は「まあまあだな」。その代わり、いい泳ぎをすると何ともうれしそうな顔をしてくれる。その顔が好きだ。

 「もっと楽しませたいんです。鈴木先生の首に金メダルをかけるところまでが、僕の目標です」

 先生はどんな顔をしてくれるんだろう? 褒め言葉は何だろう? きっとシンプルに来ると思うんだよな…。その一瞬を夢見て、逃げない男はプールに飛び込む。

 ◆将来は野球選手…両親「あ、無理だ」

 松元の父・達也さんは野球経験者。本来は息子を野球選手にさせるつもりで、水泳は体力づくりの一環だった。しかし…。「キャッチボールさせると腕のしなりがない。打たせてもドアスイングよりもっとひどい感じで、球に当たらない」(達也さん)。母・夏江さんから見ても「センスがなくて『あ、無理だ』って」。ほどなく水泳に専念させた。

 今や「逃げない男」のカツオだが、夏江さんによると「サボるのは得意中の得意だった」という。「『逃げない』とか聞くと、ウソ~!って突っ込みたくなります。環境で子供は変わるんですね」と目を丸くする。

 「頂点ガツオ」のように、ニックネームに引っかけたフレーズを披露することも増えた。「よく出てくるな、すごいな、と感心してるんです」と夏江さん。プール内外で成長を実感する日々だ。

 ◆他にもある「~カツオ」

 ▼越しカツオ 7月の世界水泳壮行会で披露。当初は色紙に「追いカツオ」と目標をしたためたが、MCの松岡修造からダメ出し。「追うどころか越しカツオになる」と宣言し、本番での銀メダルにつなげた。

 ▼のんびりガツオ 10月の日本短水路選手権は、体調不良明けだったこともあり「のんびりガツオで行きます」とマイペース宣言。フタを開けてみれば200メートル自由形で日本新をマークするなど底力を示した。

 ▼100点ガツオ 11月の社会人選手権では強化の一環で1500メートル自由形に初挑戦。ペース配分も手探りながら優勝し「内容もよかったので100点ガツオ」と自画自賛した。

 

 ◆日本勢の自由形五輪メダリスト

 200メートル以下では50メートルと200メートルがゼロ。100メートルでは1928年アムステルダム大会で高石勝男が銅。32年ロサンゼルス大会で宮崎康二が金、河石達吾が銀。36年ベルリン大会で遊佐正憲が銀、新井茂雄が銅。52年ヘルシンキ大会で鈴木弘が銀を獲得したが、以降で表彰台には上がっていない。

 ◆松元 克央(まつもと・かつひろ)

 ▼生まれ 1997年2月28日、福島県。22歳。育ちは東京・葛飾区

 ▼学歴 千葉商大付高から明大に進み、今春から所属もセントラルスポーツに

 ▼競技歴 5歳で始め、東京・金町スイミングクラブを経て、セントラルスポーツに移籍。2017年世界選手権代表。18年パンパシフィック選手権200メートル自由形銅。同種目で18年ジャカルタ・アジア大会2位、19年世界水泳銀

 ▼目標の選手 17年世界選手権でもチームメートだった小堀勇気(26)

 ▼好きな食べ物 甘党でクッキー、チョコレートなど

 ▼好きな言葉 格闘家・魔裟斗の「努力したら報われるんじゃなくて、報われるまで努力する」

 ▼好きなタレント 新垣結衣

 ▼サイズ 186センチ、84キロ

自身の愛称でもある「カツオ」を手に笑顔を見せる松元(カメラ・相川 和寛)
東京五輪への思いを語る松元
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