【世紀をつなぐ提言】64年大会体操男子団体、つり輪金メダル・早田卓次<上>つり輪握った瞬間「いける」

スポーツ報知
つり輪でフィニッシュを決める早田

 早田が最後の砦(とりで)だった。64年10月22日。種目別つり輪決勝に残ったのは6人中3人が日本選手。ミスの出にくい種目で金メダルの期待が高まったが、遠藤幸雄、鶴見修治が相次ぎ着地で失敗。この日は床運動、あん馬でも日本選手の優勝は出なかった。前日までに団体、個人総合(遠藤)を制した「体操ニッポン」の勢いがそがれそうな危機感が伝わっていた。

 早田は演技前に必ず、頭の中で自らの演技をスタートからフィニッシュまで描くようにしていた。好調な時は10秒で終わるが、不調時は最後までいかない。「あの時はスムーズにいきました。代表の4人が連続出場で私は最年少(24歳)。期待もされていなかったので、プレッシャーも感じる時間もなかった」。つり輪にぶら下がって、グッと握った瞬間「しっくりきている。いける」と手応えを感じていた。

 十字懸垂、後方振り上がり倒立など「無重力状態できれい」と評されていた技を次々に決め、フィニッシュの1回ひねり逆宙返りも決めた。「自分なりに演技はできた。着地は動いたと思ったので、得点が気になり出した。ここまで来たら勝ちたいと思いました」。電光掲示板の得点は9・75。持ち点と合わせ19・475で、2位とわずか0・05差で日本に初めてつり輪の金メダルをもたらした。「うれしかったし、肩の荷が下りました」

 つり輪で頂点に立つ人生を歩んできたようにも見える。和歌山・芳養(はや)小時代から逆立ちが得意。運動会では「逆立ち競争」が行われており、どれだけの距離を歩くかを競った。5年生の時に60メートルを記録。あまりの強さに周囲はぼう然としていた。「山中湖のボートの上で逆立ちしていた写真が残っていた。いろんなところでやってましたね」。日大2年の春、練習時に右アキレスけんを断裂した。当時は復帰も危ぶまれる逆境を、強化につなげた。

(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

 ◆早田 卓次(はやた・たくじ)1940年10月10日、和歌山・田辺市生まれ。79歳。田辺高―日大。64年東京、68年メキシコ市の両五輪代表。70年世界選手権で団体金、鉄棒で銅メダル。2004年国際体操殿堂入り。現在は日本オリンピアンズ協会理事長。

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