【磐田】必然だった2度目の降格<1>昨年12月に出始めていた名波体制のほころび

最後の采配となった川崎戦でリードされ、うつむく名波元監督
最後の采配となった川崎戦でリードされ、うつむく名波元監督
0―4と大敗した横浜M戦後、ピッチを去る磐田イレブン
0―4と大敗した横浜M戦後、ピッチを去る磐田イレブン

 J1ジュビロ磐田の2度目の降格が前節名古屋戦(11月30日)で決まった。リーグ優勝3度の名門は、序盤から低迷。1シーズンではクラブ史上最多となる4人が指揮を執る異常事態に陥った。しずおか報知では「必然だった2度目の降格」と題した3回連載で、なぜ降格したかを検証する。第1回は現役時代は黄金期を築いたMFで、6季目の指揮を執った名波浩元監督(47)の始動から退任までを振り返る。

 5月26日の第13節、名波ジュビロは横浜Mになすすべなく0―4で敗れた。ここまでチームトップタイの3得点だったルクセンブルクFWロドリゲス(24、現ディナモ・キエフ)はシュート3本で見せ場なし。完全に封じ込まれた。マッチアップした日本代表DF畠中は「足元が上手い選手じゃない。相手に自由にやらせなければ、大丈夫だと思った」。涼しい顔で振り返った。

 今季のワーストゲーム。15位に転落し、名波監督は「結果的に完敗。やられ放題だった」とうめいた。その後、2分け2敗。6月30日の川崎戦に1―3で敗れ、最下位に沈んだ責任を取り指揮官は辞任した。J2降格の大きな原因は、名波体制での不振。崩壊の予兆は18年12月に出始めていた。

 昨年12月1日。リーグ戦最終節の川崎戦に敗れ、16位となり昇格プレーオフ(PO)出場が決まり、名波監督は辞意を固めた。しかし木村稔前社長と服部年宏強化本部長(46)の説得で、PO(8日)勝利後に続投することを決めた。この1週間の遅れが、チーム作りに影響を及ぼした。補強で出遅れたのだ。

 名波監督はJ2時代の14年9月に就任。生え抜きでない加藤久GMが強化の責任者だったが、J1昇格後の16年限りで退任。17年からはジュビロで名波監督の後輩にあたる服部氏が責任者となったが、次第に指揮官の持つ権限が大きくなっていった。

 指揮官が補強を進める上で大切にすることは規律、犠牲心、諦めない姿勢などだ。欲しい選手がいると自ら口説きにかかった。17年1月のMF中村俊輔(当時横浜M、現横浜C)、昨年1月に名古屋から獲得したMF田口泰士(28)も、同6月に川崎から獲得したFW大久保嘉人(37)もそうだ。

 昨オフ、補強ポイントのひとつだったサイドバック(SB)では、鹿島の右SBで元日本代表DF西大伍の獲得に乗り出したが、神戸に敗れた。開幕前の補強はJ1最低の3人。川崎を契約満了になったMF森谷賢太郎(31)、J2山形で準レギュラー格のFW中山仁斗(27)とFWロドリゲス。序盤から機能したのは助っ人FWだけだった。

 名波監督の続投が決まらず、素早く補強に動き出せなかった強化本部の責任も大きい。複数のクラブ関係者は「名波さんに頼りすぎていた」と語った。

 カウンターで勝機を見いだすスタイルで17年にJ1で6位と躍進したが、将来的にJ1で優勝争いするために18年から戦術を増やすことに取り組んだ。今季も鹿児島キャンプからバイエルンなどを手本に、高度なポジションチェンジを特訓。だが、ある選手は「MF山田(大記)、松本(昌也)ら数人しかできなかった」と振り返る。戦術面の熟成も進まなかった。

 今年も名波監督と心中、だったはずのジュビロ上層部だが、6月頃、サポーターからバッシングが急増し変化が生まれた。C大阪戦に0―2で敗れ17位に転落した3日後の6月25日、小野勝社長がお詫びと夏の移籍市場で「戦力の補強を準備しています」と声明文を発表。クラブ関係者は「監督に無断で声明文が出たことで(ルヴァン杯の)札幌戦後(6月26日)に辞任の気持ちを固めたようだ」と証言した。

 「2度目の辞任」は、もう誰にも止められなかった。ここからジュビロは、さらなる地獄を見ることになる。(特別取材班)

最後の采配となった川崎戦でリードされ、うつむく名波元監督
0―4と大敗した横浜M戦後、ピッチを去る磐田イレブン
すべての写真を見る 2枚

サッカー

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請