【有森裕子コラム】五輪とはどんな大会なのか考え直そう…露ドーピング問題

有森裕子
有森裕子

 組織的なドーピング問題により、ロシアが2020年の東京五輪・パラリンピックには国代表としてではなく、個人資格でしか出場できない可能性が出てきました。決定すると18年の平昌冬季五輪同様、厳しい認定基準をクリアした選手のみが出場可能となり、メダルを獲得しても国旗掲揚、国歌吹奏がされず、五輪旗、五輪賛歌が使用されることになると考えられます。

 確かに、ドーピングは絶対に許されないものです。ただ、この問題を「ロシア代表だからダメ」とひとくくりにしてしまうことも危険だと思います。違反をしている選手は個人としてきちんと処罰をすればいいのであって、国単位でする必要はありません。今回の決定を聞いた時に感じたのが「本来、五輪はどんな大会なのかを考え直さないといけないのでは」ということでした。

 国際オリンピック委員会(IOC)が採択している「オリンピック憲章」には「オリンピズムの根本原則」というものがあります。ここには「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」と書かれています。重要なのは「人間の尊厳」という言葉。「国の尊厳」ではないのです。

 五輪・パラリンピックで、応援する側が「自分の国の選手を応援しよう」という気持ちが出てくるのは仕方のないことでもあります。でも、出場するアスリートたちは国を背負っているわけではありません。個々の選手が自分の持つ力を出し切る“平和の祭典”です。

 私が国内の理事長を務めている知的障害のある人たちのスポーツ活動「スペシャルオリンピックス」の国際大会では、観客は国旗を振って応援することはありません。これは、国は関係なく、全ての観客が全ての選手を応援するという精神からのものです。これこそが本来のスポーツの社会的意義ではないかと思いますが、いかがでしょうか。(女子マラソン五輪メダリスト)

社会

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