“コブラ”と怖れられたデーブ・パーカー、今はパーキンソン病と戦う

1979年来日したときのパーカー(中央)。左はオリオールズ・ウィーバー監督、右はドジャース・ラソーダ監督
1979年来日したときのパーカー(中央)。左はオリオールズ・ウィーバー監督、右はドジャース・ラソーダ監督

 1977、78年に2年連続首位打者。78年にはMVPに選出された強肩強打の外野手デーブ・パーカー氏が現在、パーキンソン病と闘っていることが明らかになった。MLBネットワークで米時間12日に90分間のドキュメンタリーを放映するとのニュースリリースが流された。

 68歳を迎えたパーカーはパイレーツを始め計6球団で全盛時は右翼手、晩年はDHとして活躍。196センチ、104キロの巨漢選手。右投げ左打ちで、球史の中でいつも登場するのが1979年、シアトルのキングドームで開催されたオールスター戦だ。「2番・右翼」で3打数1安打、犠飛で1打点を挙げただけだったが、終盤2つの強肩で魅了した。7回裏に三塁打を狙った走者を、8回には右前安打で本塁を狙った走者をそれぞれ持ち前の強肩で刺し、球宴史上初めて守備でMVPに輝いた。当時、ナ・リーグを指揮したドジャースのラソーダ監督は「あんなプレーをやってのけるのだから、彼を最後まで起用していたんだ」と、ヒーローを称えた。同年、パイレーツはワールドシリーズに進出。殿堂入り一塁手ウィリー・スタージェルの活躍もあってオリオールズ相手に1勝3敗から3連勝して8年ぶりのワールドチャンピオンとなった。

 また、オフには史上初めて、日本で開催されたア・リーグとナ・リーグのオールスターシリーズに参加。ナゴヤ球場での右翼上段への打球とバックスクリーン越えの2発は今でも印象に残っている。改めて、当時の彼が相手投手に怖れられた意味でのニックネームは“コブラ”は言い得て妙でもあった。

 DHとして1989年アスレチックスでも世界一を経験したパーカーは通算2466試合に出場、2712安打、339本塁打、打率2割9分。オールスター戦7度、ゴールドグラブ賞3度。送球で刺した数は1977年に26を始め1867試合の外野出場で通算143。ちなみに2365試合外野手として出場したイチローは123補殺。若き日の強肩ぶりはメジャー屈指だった。

 そんなパーカーがパーキンソン病を発症したのは2012年。最初は年に一度の身体検査で医師だけが気づいた変化だった。「私の手は少し震えていたので、彼(医師)はそれに気づいて言った、「それはどれくらいからですか?」と私は彼に「約6週間」と答えた。そして彼は、「あなたはパーキンソンに少し罹っているように見える」と言ったという。その後、闘病生活に入ったが、その医師が薬を調整、また医療プログラムをケリー夫人の支えもあってきちんとこなし、同じような病と闘っている患者の希望の星になっているという。そして、パーカーは「パーキンソンも簡単ではないが、まあ、見てください」と取材に答えていた。

 今回はパーカーの栄光の日々だけでなく、現状のパーカーの姿も見せてくれるドキュメンタリー。また、多くのチームメートのインタビューもはさんで彼を浮き彫りにする模様だ。

 パーカーは今年、1980年代以降の関係者を選出する野球殿堂の候補になっており、開票は12月8日(日本時間9日)。番組はその開票直後になるだけに注目される。(蛭間豊章=ベースボール・アナリスト)

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