【巨人】二岡3軍総合コーチが心境を激白! 自分にうそをつかないために

BC富山で1年間戦った二岡前監督
BC富山で1年間戦った二岡前監督

 今年、BC富山で監督を務め、巨人3軍総合コーチに就任した二岡智宏氏(43)が、現在の心境を語った。NPB入りを目指す富山の選手たちとの絆は深まり、指揮官として過ごす中で自身の感情はどう、変化したのか。2年ぶりに復帰する古巣の若手とどのように接し、育て上げるのか。厳しい中にも愛のある指導を買われた男の本音に迫った。

球場管理人がボソッと、告げた。

「そろそろ、球場を閉めますよ」

言葉の先には、二岡監督がいた。

城光寺で行われたBCリーグ西地区、富山の最終戦。信濃に敗れ、3位に終わった試合後だった。

いつもなら、試合が終わればさっさといなくなる選手が、この日は誰も帰ろうとしない。

「これで終わりなんだ、という思いが自然とみんなの中にあったんだろうね」

二岡監督の思いも、選手と同じだった。

いつもなら試合後の監督室に戻れば一人試合を振り返りつつ、帰り支度をするだけ。

それがこの日は違った。

外国人選手にそれぞれの名前が入った記念タオルを手渡し別れの言葉を交わした。そして監督室に戻ったと思えば、再びそこから出ていく。

球場ベンチ前で記念撮影している選手たちの輪に、笑顔で加わっていった。

撮影が終わるとベンチに腰かけ、談笑を始めた。

ミーティングも含め試合後、2時間ほど、そんな時間が過ぎた。管理人にとっては「そろそろいい加減に…」と突っ込みたくなる状況だった。

「最近、涙もろくなったかな」

最終試合後のミーティングでは、涙を見せる選手たちを見ながら、自分にも熱いものがこみあげてくるのがわかった。

「来年、俺は居ない」

「今後、色んなことがあるかもしれないけど、野球界にいればつながっているから、何か困ったことがあればいつでも相談に乗るからな」

厳しいことは言わなかった。1年間、ともに戦った仲間たちにエールを送った。

選手たちの熱い思いは、球場だけで収まらなかった。夜になると、高岡市内の店に選手を始め関係者20人ほどが集合し、二岡監督を招いた。

「お疲れさん会。飲みだしたら、僕に変に気を使わなくなって。楽しかったし、この仲間と1年間一緒に戦えて本当に良かったと思えた」

探り探りだった会も、誰からともなく二岡監督の就任当初の印象や、思い出話を語り出した。

主将だった河本光平が言った。

「最初は怖いイメージでしたけど、選手を第一に思ってくれて、野球に対してこんなに真摯(しんし)な方だとは思わなかった」

4時間ほど酒を酌み交わしても語り尽くせなかった。

最後は指揮官の家に大勢が押し寄せ、飲み直したほどだった。

NPBでの指導熱が冷めないうちに、と飛び込んだ富山の地。二岡智宏は監督という立場を経て、変わってきた自分を認識していた。

9月17日、二岡監督の富山退任が発表された。

BCリーグの選手たちには26歳シーズンをもって退団しなくてはならない(オーバーエージ枠除く)というルールがある。

1年勝負、という思いは二岡監督にも通じるものがあった。

もともと1年契約。契約満了に伴って退団し、独立リーグの違う球団でまた違う面々を指導したいと思っていた。

なんでそこまで、独立リーグにこだわるのか。

「富山で監督ができて、本当に面白かった。自分で采配を振るうのはもちろん、選手をどうしたら上達させられるかを考えながらできたから。そして」

続けた言葉には、自然と力がこもった。

「僕の力でチーム強くするには、まだ勉強不足だと思った」

「富山で勝てなかったというのは、まだチームだけを強くする技量はないな、と思った、正直。一人の選手を育てたり、誰かだけを育てるというのは、やってきたことは間違ってないなとは思ってるから」

「NPBの首脳陣としてのやり方としては間違ってなかったとしても、もしかしたら独立リーグの監督としては別のやり方があったのかもしれない。それが分かればもっと選手のためにもなると思ったから」

前期2位、後期3位で終わった富山。

監督として感じた悔しさは、同じ監督としての立場で晴らすしか考えられなかった。

目標としていたものを達成した幸せも、独立リーグ監督への再チャレンジを後押ししていた。

10月17日のNPB育成ドラフトで、高卒1年目投手の松山真之がオリックスから、育成8位で指名を受けた。今年のドラフト、12球団一番最後の指名だった。

「試合で勝ったうれしさとか、巨人の打撃コーチとして岡本が打った時とは違う、うれしさがあった。ああいう感覚は、もちろん息子じゃないけど、親心じゃないけど、そんな感じだった」

二岡は退任を発表したが、ドラフト当日は富山の球団事務所で松山と共に指名の瞬間を待っていた。

「プロの契約をつかんだ選手を目の前で見た。あのキラキラした顔を、一生、忘れることはない。ただ、松村(誠矢)、有馬(昌宏)と調査書が届いたのに、NPBに行かせられなかったのは申し訳ない。何かもっとできたのではないかと思っている」

最後まで親心は尽きなかった。

昨オフに富山の監督業を自ら探したように、今回も自分で関係者に声を掛けて、次の道を探った。

日が経つにつれ、独立リーグチームの監督に空きがないことを知った。

「BCリーグだけじゃなく、来年の全国の独立リーグの監督がほぼ、固まっていた。正直、来年は難しいかな、と思った」

アマチュアの資格回復もしようと思った。NPBを目指す選手たちをどうすれば後押しできるかを考える日々が続いていた。

「思ったよりも自分のチームを持ったら、こいつら打たしたろう、とか、なんとか勝たせようとか、そんなに思うんだと思った」

コーチ時代には居ない自分がいた。

「上司になった喜びとかは、ない。でも、選手と一緒になって喜怒哀楽するんだよね」

監督という立場を経験して、二岡は自分の中に眠っていたものを見つけた。

「富山で一生懸命やって、なんとか優勝したいと思って、もちろんうまくなりたいと思って、NPBに行きたいと思ってやってくれた選手が、僕が一生懸命やったことによって『二岡さんが辞めるなら、僕も辞めます』って言ってくれた。うれしいと言うとありきたりだけど、熱い思いが湧いてきた」

そしてそれは、今まで気づかなかったことを気づかせてくれた。

「やっぱり、チームを思う気持ちって必要なのかな、って」

「僕が現役時代に原(辰徳・巨人)監督が『ジャイアンツ愛』って言ってたけど、当時は自分のプレーをすることでそこまで意識することはなかった。でも、監督を経験した今は、チームに入った以上は、それぐらの強い気持ちを持ってやらなきゃだめだな、と。自分のために必死になってくれる人がいたら、その人を喜ばせよう、とか、今度はその人のために自分がなんとか頑張ろうとか、そういう気持ちがチームを強くするわけだから」

一本の電話が鳴った。

巨人軍関係者からだった。来季のファームコーチの打診だった。

「悩んだ。自分にうそをつきたくなかったから」

打診されたのが3軍コーチではなかったら、古巣相手でも断っていた可能性もあった。

「3軍は、ここから本当にプロで活躍しようという選手が集まっていて、独立リーグの選手と似ている立場でもある。それなら、僕自身の思いとも近いかなと思った」

決断を下すとすぐに、もう一本、電話を受けた。

着信画面に出た名前は、原監督だった。

「原監督は、僕の巨人コーチ時代の指導が厳しかったと感じてくださったようで、厳しくて愛情のある指導で若い選手を教えてやってほしいと言ってもらった」

背筋がピンと伸びた。

そんな先輩からの一言に、新たな道を進む決心はさらに強くなった。

1年間離れた古巣。外から見たことで、見えたものはもちろん、あった。

「(阿部)慎之助が一生懸命やっている部分あるし、(坂本)勇人も、なんとかこのチームで勝ちたいんだな、と通じるものがあった」

そして日本シリーズで4連敗する巨人の敵となったソフトバンクに、自身が経験したものを見た。

強いチーム―。

「日本シリーズを見ていても、お互いミスはする。ただ、ホークスはそのミスを上回る活躍を誰かがして、カバーするから目立たない。僕が居た頃のジャイアンツも誰かがミスをカバーし合えていた」

「ミスが出てチームが負けると、マスコミに叩かれて、選手が委縮することがある。でも、それに耐えられない選手じゃ、ダメだと思う」

常勝軍団で育った男は、3軍から再び強いチーム作りをしていくつもりだ。

「指導方法に関しては生きると思う。ただ、僕の気持ちはリセットだね」

富山で得た知識や経験は還元するが、引きずるつもりは毛頭ない。20代前半の、上を目指そうという選手たちを指導する、という点は同じはず。なのになぜ、リセットという言葉を使うのか。

「富山の選手より、巨人の選手への方が厳しくは言うと思う」

「独立リーグよりも練習や試合をする環境は整っていて恵まれている。だから、そういうことはいいわけにできない。だから」

視線が鋭さを増した。

「3軍のコーチをやる上では、選手がどれぐらいハングリー精神持っているか、自分がどうなりたいのかっていうのは常に意識させたい」

「巨人に入った、というだけで満足していたらすぐクビになるよ、っていうことは、ちゃんと選手に、育成を教える上では、やらなきゃダメかな、と思ってる」

富山でもシーズン中盤に、勝利を求めるか、育成を求めるかで逡巡した。

結局、両方を追い求めて1年が過ぎた。

来年、3軍選手に求める物は何か。

「個々の選手を育てるのはもちろんだが、試合をやる以上は勝たなきゃ。負けることもあるかもしれないが、独立リーグに簡単にやられているようでは、上では活躍できないと思う」

置かれた立場が変わっても、変わらない部分が二岡にはある。

柔和な笑顔はまた、あまり見られなくなるかもしれない。

「厳しいことを言うかもしれないけど、でもその選手が活躍できればそれでいい」

そう言って、やさしく笑った。

(取材・構成 柳田寧子 高田健介)

◆二岡 智宏(におか・ともひろ)1976年4月29日、広島県生まれ。43歳。広陵高、近大を経て、逆指名した巨人に98年ドラフト2位で入団。1年目から正遊撃手として活躍。2002年に日本シリーズMVP、03年にベストナイン。08年オフに日本ハムへ移籍し13年限りで現役引退。15年オフに巨人2軍打撃コーチに就任し、17年から1軍打撃コーチ。昨オフに退団。通算成績は1457試合で1314安打、打率2割8分2厘、173本塁打、622打点。180センチ、80キロ。右投右打。

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