今もワシントンの野球ファンの心に残る95年前の世界一・・・

ナショナルズの初の世界一に喜ぶファン(ロイター)
ナショナルズの初の世界一に喜ぶファン(ロイター)

 ナショナルズが球団初の世界一を成し遂げた。首都ワシントンのチームとしては1924年の1度だけ。当時ア・リーグに所属したセネタース以来の快挙だった。95年前のシリーズを再現する(この記事は10月22日報知新聞掲載のヒルマニアを加筆しました。

 1901年ア・リーグ創設と同時に参加したセネタースだったが、23年までに勝ち越しは6シーズンだけの弱小で、第1次世界大戦中の17年には年間観客動員がわずか8万9862人というシーズンもあった。

 こんなチームで、10年から19年まで10年連続20勝したのがウォルター・ジョンソン。通算打率3割6分7厘をマークしたタイ・カッブでもその剛球を怖れていたという右のスリークォーターで通算417勝、ニックネームは「ビッグ・トレイン」(人間機関車)。日本プロ野球では、さしずめ先日亡くなった金田正一さんの国鉄(現ヤクルト)時代のような存在だった。

 30代となって一時は少年時代を過ごしたカリフォルニアに戻ろうとしていたが、オーナーの「リーグ優勝するまでいてくれ」との言葉にプレーを続け、36歳で迎えた24年は5年ぶりに23勝しリーグ3連覇中だった、あのベーブ・ルースのいたヤンキースに2ゲーム差をつけ念願の初優勝を飾った。

 シリーズの相手はナ・リーグ4連覇のジャイアンツ。

 当時は移動日無しで記者で連戦、右腕は第1戦165球を投げながら延長12回3―4で敗れ、第5戦は6失点で2敗目を喫した。

 3勝3敗となった第7戦、8回にセネタースは監督兼二塁手のバッキー・ハリスが三塁へのイレギュラーヒットで2点を挙げ3―3で同点に追い付いた。ここで指揮官は「君はうちの最高の選手。君にすべてをかける」と中1日のジョンソンを送り出した。

 ベテラン右腕は9回1死から三塁打を許したが後続を断ち、延長11回の1死二塁も、この年打点王に輝いたジョージ・ケリーを8回と同じように三振に仕留めた。

 延長12回、セネタースは1死後、捕邪飛落球から打ち直したムディー・リュールが三塁線二塁打、遊ゴロ失策で1死一、二塁からアール・マクニーリーのゴロが8回と同じようにイレギュラーして三塁の頭を越えて劇的なサヨナラでシリーズを制した。

 セネタースのワールドシリーズ優勝は、ジョンソンの念願が叶った日として今でもワシントンの野球ファンの心に残っている。

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