新旧狼軍団、ヒロ斉藤とマサ斎藤の関係性とは…金曜8時のプロレスコラム

nWoジャパンの進撃を報じる1998年1月25日付スポーツ報知
nWoジャパンの進撃を報じる1998年1月25日付スポーツ報知

 カルガリー・ハリケーンズやnWoジャパンのバイプレーヤーとして活躍したヒロ斉藤(58)=本名・斉藤弘幸=のデビュー40周年記念大会「RAGING OUTLAW TOUR~HIRO SAITO40th ANNIVERSARY」が25日、東京・後楽園ホールでドラディションの主催で開催される。

 ヒロ斉藤は、1978年8月26日に新日本プロレスで魁勝司戦でデビュー。85年にはカルガリー・ハリケーンズを結成し、ジャパンプロレスから全日本プロレスへと参戦。初代世界ジュニアヘビー級王者となり、87年に新日本へ復帰。95年からは蝶野正洋が率いる狼群団、nWoジャパン、T2000に加入し黒の総帥をサポートしてきた。2006年に新日本を離脱し、藤波辰爾(65)が主宰する無我ワールド、ドラディションに骨を埋め、デビュー40周年を迎えた。

 ドラディションのヒロ斉藤40周年記念大会「RAGING OUTLAW TOUR~HIRO SAITO40th ANNIVERSARY」は25日の後楽園ホール大会のほか、27日には、大阪・南港ATCホールCホールで開催される。

 25日の後楽園大会では、武藤敬司(56)、天山広吉(48)とともに、かつてのnWoジャパンを再結成し、藤波、獣神サンダー・ライガー、越中詩郎(60)の伝説ユニット「ドラゴンボンバーズ」と対戦。また、狼群団、nWoジャパン、T2000で盟友だった蝶野正洋(55)が「ヒロさんを勝たせるために」特別レフェリーを務める。27日の大阪大会では、越中、ライガーと組んで藤波、藤原喜明(70)、Xと対戦する。

 この2大会に先立ち、「WEB報知」では、ヒロ斉藤を独占インタビューし、「ヒロ斎藤40周年ストーリー」として、ヒロ斉藤のプロレス人生を連載中。デビューから現在に至るまでの知られざるヒロ斉藤秘話が好評を博している。

 「金曜8時のプロレスコラム」(毎週金曜朝8時配信)では、その番外編として、よく間違えられる、ヒロ斉藤とマサ斎藤の関係性について迫ってみることにする。

 日本初のヒールユニット「狼軍団」が結成されたのは、1978年のことだった。マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さん(昨年7月14日に75歳で没)は、ヒロ・マツダさん(1999年に62歳で没)が率いる狼軍団の副将だった。奇しくも、ヒロ斉藤は、この「狼軍団」結成年の1978年に新日本プロレスに入門している。当然、ヒロ斉藤というリングネームとは無縁だった。マサ斎藤は父でも兄でもなく、親戚関係はない。

 狼軍団は、1978年に新日本プロレスが開催したプレ日本選手権で、旋風を巻き起こした。猪木が提唱した日本選手権に、全日本プロレス、国際プロレスは乗ってこなかったため、フリーの日本人を集めた狼軍団を参加させた。その狼たちは、ヒロ・マツダ、上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山、剛竜馬(ここから敬称略)。マツダが総帥で、2番手は日本プロレス入門順では馬之助だが、一匹狼ぶりが強く、明大出身で東京五輪レスリング代表のマサが副将を務めた。

 新日本プロレス本体の赤ジャージーに対抗して、狼軍団のそろいの黒ジャージーがカッコよかった。その中で、あえて黒ジャージーを着ない馬之助のアウトローぶりも怖かった。プレ日本選手権の決勝では、マツダが猪木の卍固めに敗れたが、試合後の黒ジャージーの乱闘劇は圧巻で、ドキュメンタリー映画「激突!格闘技 四角いジャングル」(三協映画)の名場面にもなった。

 この狼軍団こそ、ヒールユニットの元祖で、その後に新日本プロレスで誕生したはぐれ国際軍団、革命軍、維新軍団、ブロンドアウトローズ、平成維震軍、nWoジャパン、TEAM2000、魔界倶楽部、さらに今、最も勢いのあるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンへとつながっている。逆に全日本プロレスでは、ヒールユニットは少なく、対抗戦では、国際プロレス、韓国プロレス、ジャパンプロレスを相手にしたが、ヒールと定義されたのは、タイガー・ジェット・シン軍団と国際血盟軍ぐらいだろうか。

 さて、ヒロ斉藤の誕生は、1983年にカナダ・カルガリーに遠征してからの話となる。本名が斉藤弘幸だから、海外ではヒロと呼ばれるのは当然といえば当然だった。だが、ここでヒロはマサ斎藤にあいさつするのではなく、上田馬之助にコンタクトを取った。金髪に黒いひげという、日本独特のヒールスタイルを模倣するためだ。ここでよく考えてみると、ヒロ斉藤というキャラクターは、「ヒロ」・マツダとマサ「斎藤」と上田馬之助(スタイル)を兼ね備えた存在なのだった。言わば”ひとり狼軍団”だ。

 斉藤という姓が偶然であるのと同じく、ヒロという名も偶然だ。ヒロ・マツダの本名は小島泰弘だから、同じ「弘」である。上田馬之助に師事し、ヒール道を進み、新日本プロレスでタッグを組み、仲間割れした時には、シングルで対戦し、回転エビ固めで勝利も飾っている。

 95年2月12日に後楽園ホールの昼夜ダブルヘッダー大会でヒロ斉藤が蝶野正洋と電撃合体し、以後、天山広吉を加えたトリオが「狼群団」と名付けられたことに違和感がなかったのは、ヒロ斉藤の存在があったからだと思う。「狼群団」はnWoジャパン、TEAM2000で大ブレークを果たすのだ。

 WEB報知での連載「【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(24)『空前のnWoブーム』」に書かれている通り、ハルク・ホーガン、スコット・ホール、ケビン・ナッシュによるWCWのヒールユニット「nWo(new World order=新たな世界の秩序)」を「nWoジャパン」として日本で展開するにあたって、マサ斎藤がWCWの現場を仕切っていたエリック・ビショフ副社長から許可を得て実現したものだった。

 マサ斎藤がいたから、今のヒロ斉藤がある。これはまぎれもない事実だ。(酒井 隆之)

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