山中亮平、“恩人”平尾誠二さん命日に南アフリカ倒す 2年間出場停止で解雇覚悟も復帰尽力

スポーツ報知
13日のスコットランド戦で突破を図る山中

◆ラグビーW杯 ▽準々決勝 日本―南アフリカ(20日・東京スタジアム)

 ラグビー日本代表は16日、都内で準々決勝の南アフリカ代表戦(20日・東京ス)に向けて練習を行った。2016年に他界した平尾誠二さん(享年53)の命日と重なる一戦へ、FB山中亮平(31)=神戸製鋼=はラグビー人生を救ってくれた恩人にささげるファイトを約束。南アフリカ代表は快足ウィングのチェスリン・コルビ(25)が、日本の両ウィング・福岡堅樹(27)=パナソニック=、松島幸太朗(26)=サントリー=とのフィニッシャー対決に自信を見せた。

 日本ラグビー界にとって忘れられない平尾さんの命日に、日本代表は準々決勝に挑む。1次リーグで2位通過なら準々決勝は19日だったが、1位通過したことで命日と重なった。運命に導かれたような大舞台。初代表に入った当初から、亡き恩人へ恩返しを誓ってきた山中は、「僕にとって、すごい日に試合がある」と、感慨深げに語った。

 昨年SOからFBに転向してW杯への初切符をつかんだ。31歳でかなえた夢は、16年に胆管細胞がんで他界した平尾さんの尽力なくして実現はなかった。11年にプロとして神戸製鋼に入団したが、ヒゲを伸ばすために使った育毛剤が原因でドーピング陽性となり2年間の出場停止処分に。解雇も覚悟した。しかし、GMを務めていた平尾さんの計らいでプロから社員として会社に残ることができ、復帰の道をつくってもらった。

 この日は会見の席上で、平尾さんの姿を思い描いた。「『よく頑張った』と言ってくれると思う。『思い切って楽しんでやるだけだ!』と言ってくれる気がする」

 4戦全勝で突破した1次Lは全試合に出場。13日のスコットランド戦は後半から途中出場し、自身がボールを蹴り出して試合を終わらせた。スコットランドからの勝利は、平尾さんが30年前の89年に選手として勝って以来だった。選手で3度、監督で1度W杯へ出場した平尾さんも成し得なかった初の8強入りに貢献した。

 次は日本にとって未知の領域となる準々決勝。南アは1次Lで最多185得点、最多27トライをたたき出した超攻撃的なチームだ。9月6日の壮行試合(熊谷)ではキック攻撃に苦しめられ7―41で大敗。勝敗のカギを握る防御で最後尾を守るFBは、「キックへの処理はバックスリー(ウィング、FB)として大事になる」と、気を引き締めた。

 平尾さんの名言の一つに、「未来ではない。今の自分がどうなのかが大事」とある。その言葉に呼応するかのように、「失うものはない。しっかりチャレンジして、どれだけ自分たちがやってきたラグビーをやりきれるか」と意気込んだ。(小河原 俊哉)

 ◆山中 亮平(やまなか・りょうへい)1988年6月22日、大阪市生まれ。31歳。真住中2年時にサッカーから転向、ラグビーを始める。東海大仰星高3年時にSOで花園優勝。早大を経て2011年、神戸製鋼入り。10年5月8日に代表デビュー、通算17キャップ。188センチ、95キロ。家族は妻と2男1女。

 ◆平尾 誠二(ひらお・せいじ)1963年1月21日、京都市出身。1981年度に伏見工で花園優勝。同志社大に進み史上初の全国大学選手権3連覇に貢献した。86年に神戸製鋼へ入社し日本選手権で7連覇を達成。「ミスターラグビー」と呼ばれた。98年に現役引退。日本代表には史上最年少の19歳4か月で選出され、W杯3大会出場、通算35キャップ。97年から監督を務め、99年W杯代表を率いた。神戸製鋼の総監督、GMなどを歴任した。

 ◆平尾氏とW杯 1982年に史上最年少(当時)の19歳4か月で日本代表に選出され87、91、95年大会に出場。95年のニュージーランド戦(17―145)以外の8試合に先発した。97年に史上最年少34歳で日本代表監督に就任し、ジョセフ現HCを代表に入れ99年W杯を指揮したが3戦全敗。2004年から11年大会招致実行委員会ゼネラルマネジャー(GM)で招致活動に尽力し、招致成功後は19年W杯組織委員会の理事を務めた。

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