「ブルームフォンテーンの惨劇」から24年、ラグビーW杯日本大会で見る夢

13日のコットランド戦の後半40分、山中はボールを蹴り出しノーサイド。ベスト8進出を決めた(カメラ・越川 亘)
13日のコットランド戦の後半40分、山中はボールを蹴り出しノーサイド。ベスト8進出を決めた(カメラ・越川 亘)
1995年6月4日、ラグビーW杯南アフリカ大会1次リーグ第3戦、ニュージーランドと対戦した日本フィフティーン(カメラ・越川 亘)
1995年6月4日、ラグビーW杯南アフリカ大会1次リーグ第3戦、ニュージーランドと対戦した日本フィフティーン(カメラ・越川 亘)

 今回のラグビーW杯を撮影しているスポーツ紙のカメラマンで、24年前の145―17の悲劇の現場にいたのは、私だけかもしれない。

 10月、台風19号が過ぎた横浜国際総合競技場には、さわやかな夜空が広がっていた。決勝トーナメント進出をかけた大一番、日本対スコットランド戦。後半39分50秒からスタジアム内に広がったノーサイドのカウントダウンに、カメラマン席でファインダーをのぞいていた私は、シャッターを切りながら「出せー」と叫んでしまった。

 1995年6月4日、第3回ラグビーW杯南アフリカ大会でニュージーランド相手に145点を失い惨敗した「ブルームフォンテーンの惨劇」。勝てるはずないと思いながら撮影したのを覚えている。その2日前、ニュージーランドの選手はメンバー発表会見後、宿舎のプールサイドでくつろぎ、ギターを手に笑顔の写真を我々に撮らせた。その余裕のオールブラックスに全く歯が立たなかった日本は、世紀の惨敗を世界中にさらしてしまった。

 ホテルのバーで見たテレビでは、他国フィフティーンが緑の芝の上を走り、トライでは頭から気持ちよさそうに滑っていた。日本のラグビーはなにか違うスポーツのようにも見えた。

 大学ラグビーなど一部では根強い人気はあったが、野球やサッカーといったいわゆるメジャー競技に押されて、ラグビーの試合や練習を取材する機会は減っていった。南アから帰国後はラグビー日本代表の醜聞も吹き出し、多くの人から「代表選手は何をしていた?」などと聞かれた。その後、スポーツ報知がカメラマンをラグビーW杯に派遣することもなくなった。

 「ブルームフォンテーンの惨劇」の事を事細かに記録、論評した本「ラグビー黒書 145点を忘れるな」(日本ラグビー狂会・編、著)を読み返した。当時の問題、選手の行動、ラグビー協会のあり方などが細かく著されている。その前書きには「20XX年、第△○回のワールドカップにおいて、我らが代表がオールブラックス破るという快挙を成し遂げる日、(中略)私たちはあなた及びあなたの子供、そしてあなたの孫たちとともに、どこかのクラブハウスのバーでささやかな乾杯をあげたい…」とある。

 あれから四半世紀の月日が流れた。今回、ベスト8の相手は南アフリカだ。試合後、有名大ラグビー部出身のYカメラマンは「スコットランドに勝ったんだから、ちょっと重いだけの南アフリカにも勝てそうですよ」とつぶやいた。15年のW杯で南アフリカは一度破った相手、南アを破って、オールブラックスを破って…。乾杯できる時が本当に来るかもしれない。

 もう少し夢を見ていたい。(記者コラム・越川 亘) 

13日のコットランド戦の後半40分、山中はボールを蹴り出しノーサイド。ベスト8進出を決めた(カメラ・越川 亘)
1995年6月4日、ラグビーW杯南アフリカ大会1次リーグ第3戦、ニュージーランドと対戦した日本フィフティーン(カメラ・越川 亘)
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