400勝投手の金田正一さんが死去、86歳

2014年7月、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督との始球式に向け、派手なポーズで登場した金田正一さん
2014年7月、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督との始球式に向け、派手なポーズで登場した金田正一さん
ロッテ監督時代の金田さん。巨人・長嶋茂雄監督と(1976年)
ロッテ監督時代の金田さん。巨人・長嶋茂雄監督と(1976年)

 日本プロ野球記録の通算400勝を始め、数々の投手記録を残した金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、東京都内の病院で亡くなったと巨人が発表した。86歳だった。

 戦後、2リーグに分立したプロ野球を牽引し続けた大型左腕だった。1950年、享栄商3年の夏、県予選で敗退すると中退し、国鉄スワローズ(現ヤクルト)に入団。17歳になったばかりの8月23日広島戦でデビュー。サヨナラ負けを喫したが6三振を奪ったピッチングで、わずか1か月半で164回2/3を投げ8勝をマークした。2年目からは飛ぶ鳥を落とす勢いで、セ・リーグのエースとして君臨。2度の30勝を含め長い歴史を誇るメジャーでも誰もやっていない14年連続20勝の偉業をマーク。不摂生がたたって現役を去る選手を見続けてきたこともあり、プロ入り当初から人知れぬ節制を重ね続けての記録でもあった。

 厳しいトレーニングや食事に関しての節制は巨人移籍の1965年キャンプで関係者を驚かせ、ナインの意識改革を植え付け「長嶋茂雄を蘇らせたのは俺だ」と豪語するほどだった。

 1969年に通算400勝を最後に現役引退したが、その後も球界に寵児として君臨。1973年にロッテの監督に就任、翌年はプレーオフで当時最強を誇っていた阪急(現オリックス)を下し、日本シリーズでも中日を4勝2敗で破り日本一監督となった。

 1988年に野球殿堂入り。1990年から2年間2度目のロッテ監督を務めるが、その後は日本プロ野球界のご意見番の一人としメディアで活躍。また、村田兆治らの野球殿堂入りに際しては介添え役としてしばしば登場していた。

2014年7月、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督との始球式に向け、派手なポーズで登場した金田正一さん
ロッテ監督時代の金田さん。巨人・長嶋茂雄監督と(1976年)
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