新日本VSノアの東京ドームシティ興行戦争で思い出す、夢の懸け橋VS天龍・長州連合…金曜8時のプロレスコラム

「夢の懸け橋~憧夢春爛漫~」を報じる1995年4月3日付報知新聞2面
「夢の懸け橋~憧夢春爛漫~」を報じる1995年4月3日付報知新聞2面

 プロレスリング・ノアが来年1月4、5日に東京・後楽園ホールで新春2連戦興行を行うことを発表した。まさにこの1・4&5は、新日本プロレスが後楽園ホールと同じ東京ドームシティにある東京ドームで2連戦興行を行うことをすでに発表しており、約1000人規模の後楽園ホールと約5万人規模の東京ドームとスケールこそ違うが、プロレスリング・ノアが業界の盟主・新日本プロレスに真っ向勝負を仕掛ける形となる。

 1・4は新日本伝統の“プロレスの日”で、今年は5日とともに初のドーム2連戦に挑むことで話題になっている。試合開始時間は、後楽園ホールが4日は午後6時半、東京ドームが午後5時とほぼ同じ時間帯。5日は後楽園が午前11時30分スタートで、ドームが午後3時開始となり、“はしご”が可能だ。

 ドームとホールの興行戦争で思い出すのが、1995年4月2日の出来事。13団体参加のベースボール・マガジン社主催のオールスター戦「夢の懸け橋~憧夢春爛漫~」がドームで行われ、それに対して天龍源一郎率いるWARが独自にホール興行を打ったのだ。WARが先に後楽園開催を決めていたということだったが、ベースボール・マガジン社発行の「週刊プロレス」と少なからぬ因縁があった天龍の反骨精神のなせる技だった。この天龍の意地に、新日本の長州力が呼応。後楽園のメインイベントで盟友・アニマル浜口も加えて、新日本の別動隊・平成維震軍の越中詩郎、後藤達俊、小原道由と6人タッグで対戦した。

 ドーム興行は交流戦ではなく、新日本プロレス、全日本プロレス、FMW、UWFインターナショナル、リングス、みちのくプロレス、プロフェッショナルレスリング藤原組、パンクラス、IWAジャパンプロレス、剛軍団、全日本女子プロレス、LLPW、JWPの13団体がそれぞれの団体内での試合を1試合づつ提供。試合順は前記の逆からで、女子と男子が旗揚げの若い順に行った。

 当時、現場取材をしていたが、過去紙面をひもといてみて、驚いた。トップの扱いはメインイベントの新日本(橋本真也VS蝶野正洋)でも、セミファイナルの全日本四天王でもなく、セミ前のFMW。グレート・ニタ(大仁田厚)とポーゴ大王(ミスター・ポーゴ)の東京ドーム初のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチだった。

 大仁田はこの1か月後の5月5日に川崎球場で、引退試合を予定していた。この時は2度目の引退試合で、“涙のカリスマ”“デスマッチの教祖”として、時代の寵児だった大仁田は、本当に引退するものと思われていた。大仁田の最初で最後(のはずだった)ドーム参戦を取材し終えてから、続く2試合をすっ飛ばして、後楽園ホールに“はしご”したことを思い出した。ちょうどメインイベントが終わる頃で、試合後の天龍の話を聞くことができた。下の方にある記事で振り返ると、天龍は「意地だけでリングに上がった」と期待していた通りのコメントを発してくれている。

 当時は後楽園ホールの控え室(ロッカールーム)まで入って取材することが許されており、天龍の熱い思いが直に伝わってきたことを思い出す。広すぎて空虚な感じもする東京ドームと違って、後楽園ホールはボクシングの聖地でもあるように、血と汗と涙がしみついた昭和の味わいが残っている。プロレスリング・ノアは、23歳の若きGHCヘビー級王者・清宮海斗による新しい航海を展開中で、泥臭い天龍のそれとは違うプロレスだが、興行戦争を打ち出したからには、新日本艦隊に対抗する反骨精神を見せてもらいたいものだ。(酒井 隆之)

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