「日の丸飛行隊」金野昭次さん死去 72年札幌男子70メートル級銀メダリスト

冬季札幌五輪70メートル級ジャンプで表彰台を独占した(左から)銀の金野昭次氏、金の笠谷幸生氏、銅の青地清二氏
冬季札幌五輪70メートル級ジャンプで表彰台を独占した(左から)銀の金野昭次氏、金の笠谷幸生氏、銅の青地清二氏

 1972年札幌五輪のスキージャンプの70メートル級で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で、銀メダリストの金野昭次氏が5日午前1時18分、下咽頭がんのため札幌市の病院で死去したことが9日、明らかになった。75歳だった。葬儀は近親者で行った。現役引退後の98年長野五輪で聖火リレーの走者を務め、昨年2月までは札幌で行われるジャンプ大会で役員を務めるなどしていた。同年3月にがんが見つかって以降は、闘病生活を送っていた。

 高度経済成長期の日本に一大ブームを巻き起こした「日の丸飛行隊」の一員がまた一人、天に召された。札幌スキー連盟によると、金野氏は18年2月までは札幌で開催されるジャンプ大会で役員を務めるなど、現場に姿も見せていた。同年3月にがんが見つかり、手術を受けて以降は闘病生活。今月5日に札幌市内の病院で帰らぬ人となった。

 金野氏は日大から北海道拓殖銀行に進み、68年グルノーブル大会で五輪デビュー。地元・札幌での72年大会は、70メートル級を制した笠谷幸生氏(76)に続く2位で、3位で08年に亡くなった青地清二氏とともに日本勢で表彰台を独占した。162センチ、53キロと小柄で、「カミソリ」と表現された鋭い踏み切りからの低い飛行曲線が特徴。五輪では日本で1番手で登場して、1回目に82・5メートルと距離を伸ばした。チームに勢いをつける役割を果たして「切り込み隊長」と呼ばれた。

 冬季2度目の自国開催となった98年長野五輪では、聖火リレーの走者を務め、開会式で笠谷氏らと五輪旗を持って入場。同大会では岡部孝信、斎藤浩哉、原田雅彦、船木和喜の団体が金メダルに輝いた。

 ジャンプ競技で初の五輪メダル獲得を、衝撃の表彰台独占を果たした「日の丸飛行隊」。日本初の冬季五輪金メダリストになった笠谷氏は「鋭い踏み切りはカミソリと表現された。私にはまねのできないジャンプだった。70メートル級の会場、宮の森のジャンプ台では独壇場と言えるほど強かった。それに大きい試合になると力を発揮した。ご冥福をお祈りするだけです」と悼んだ。札幌五輪の結果は、日本のスキージャンプ界の地位を押し上げ、後進の有力選手が現れる契機ともなった。

 14年ソチ五輪個人ラージヒル銀メダルの葛西紀明(47)=土屋ホーム=は所属を通じ「日本のジャンプをメジャーにしてくれた日の丸飛行隊の銀メダリスト金野さんにはとても感謝しています。同じ銀メダリストとして胸を張れます! 心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを寄せた。ジャンプ大国の礎をつくった功績は永遠に色あせない。

 ◆日の丸飛行隊 自国開催だった72年札幌五輪で、スキージャンプ男子70メートル級の表彰台を日本勢が独占したことから名付けられた。笠谷幸生が244.2点で金メダル。金野昭次が234.8点で続き、青地清二が229.5点で銅メダルに輝いた。「日の丸飛行隊」は、その後もジャンプ日本代表の愛称として定着した。

 ◆金野 昭次(こんの・あきつぐ)1944年9月1日、札幌市出身。北海高を経て日大進学。卒業後は北海道拓殖銀行に入行した。五輪は68年グルノーブル大会で初出場し、70メートル級24位、90メートル級20位。72年札幌大会では70メートル級銀メダルのほか、90メートル級でも12位に入った。

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