ソフト“2枚看板”上野&藤田、五輪へ深まる師弟愛

8月30日の復帰戦で声援にこたえる上野由岐子
8月30日の復帰戦で声援にこたえる上野由岐子

 ソフトボール女子日本代表のエース・上野由岐子(37)=ビックカメラ高崎=が、先月30日のジャパンカップ(JC)1次リーグ台湾戦で4月の下顎骨骨折以来、125日ぶりに実戦復帰を果たした。駆けつけたファンからの「お帰り」コールの中、最終4回に3番手で登板。三者連続三振を奪い、1回無失点と好投を見せた。

  • 8月30日の復帰戦で4回から3番手で登場した上野由岐子
  • 8月30日の復帰戦で4回から3番手で登場した上野由岐子

 誰よりもエースの復帰を心待ちにしていたのが、上野と二枚看板と称される藤田倭(やまと、28)=太陽誘電=だった。7月に行われたJCの会見で「急がずに上野さん自身が復帰できるタイミングで戻ってきて欲しいのが正直な気持ち」と語っていたが、その表情はどこか寂しげだった。

 2人は2012年の世界選手権で出会った。藤田が実業団4年目の21歳で初代表入りをつかんだときだ。忘れられないシーンは初戦のオーストラリア戦。先発の上野は1回にいきなり先制弾を許したが、失点はこの1点のみ。完投し、日本は3―1で勝利した。「上野さんは先制ホームランを打たれた。でもそこから崩れることなく、最少失点で抑えることだけを考えて投げていた。私は当時、がむしゃらに投げていただけなので、経験ってすごいと思った」。まだ、雲の上の存在だった。

  • 上野と二枚看板と称される藤田倭
  • 上野と二枚看板と称される藤田倭

 距離が急速に縮まったのは、約2年前。藤田が16年シーズンのリーグで投手として最多勝、打者として本塁打王、打点王、そしてMVPとタイトルを総なめにした後のことだ。さらなる高みを目指し、自然と視線は日本のエース・上野に向いた。「若いときは『自分なんかが話していいのかな』と思っていた。でも上野さんがいるのに、色々なことを聞かないのはもったいないと思い、自分から上野さんのそばに寄れるようになった。近くにいて、いいものをたくさん見たい」。

 上野が下顎骨骨折で不在時に開催された日米対抗(6月・宮城、東京)。藤田は第3戦に初登板&先発し、延長8回を11奪三振、無失点と好投。初代表入り以来8年目で米国から初の完封勝利を記録した。「エースとしての役割をいかに果たせるかだった。結果を見たら、ホッとした」。宇津木麗華監督も「心配はなかった。落ち着いて見ていられた」と信頼を寄せた。

 上野も藤田も大のコーヒー好きで、最近はプライベートでも一緒に出かけることが増えた。「普段から一緒にワイワイやっている。上野さんおちゃめな人で、一緒にいるとすごく楽しい」。8月23日のJC直前合宿では上野が4月のけが以来、初めて代表チームに合流。宇津木監督は「上野が藤田の部屋に行っていたみたいで…」と仲良しぶりを明かした。

 08年北京五輪では上野が準決勝から決勝まで一人で413球を投げ抜き、日本を初の五輪金メダルへ導いた。ただ、レジェンドも20年東京五輪の初戦でちょうど38歳の誕生日を迎える。もちろん上野なら、一人で投げ抜く力はあるだろう。しかし米国に対峙(たいじ)できる投手が一人、二人と現れたら、どれだけ相手に脅威を与えられるだろうか。藤田は左足肉離れでJCのメンバーから外れたが、大事には至っていない。指揮官はJCの前に「本当は決勝で上野、藤田のリレーを見ておきたかった」と語った。約10か月後に五輪がやって来る。グラウンド内外で認め合う日本を再び頂点へ導くのは藤田、上野の“二枚看板”だと信じている。

 ◆宮下 京香(みやした・けいか)1994年8月17日、埼玉県生まれ。25歳。大谷翔平、羽生結弦らと同じワンダフル世代。2018年入社。ゴルフと五輪競技で主にソフトボール、バレーボール、フェンシングを担当。小学校入学時から高校卒業までソフトボール部。趣味はサイクリングと登山、ももクロ。

8月30日の復帰戦で声援にこたえる上野由岐子
8月30日の復帰戦で4回から3番手で登場した上野由岐子
上野と二枚看板と称される藤田倭
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