【五輪の深層】ジョイナーの衝撃…ソウルから支え続け32年の組織委参与・上治丈太郎氏

ジョイナー(右)と記念撮影する上治氏(上治氏提供)
ジョイナー(右)と記念撮影する上治氏(上治氏提供)

 五輪、それは多くの企業にとっても4年に一度の存在感を示す最高の機会であり、とりわけスポーツメーカーにとってはビッグチャンスである。選手を通じていかに商品の優秀性を見せ、証明できるか。チームや個人とのスポンサー契約は、ブランドイメージの向上や訴求に最も効果のあるマーケティング戦略だ。

 その背景のもと、今思い出しても鳥肌が立つほどの衝撃を受けたのはフローレンス・ジョイナーである。

 1988年7月16日。ソウル五輪の出場選考会を兼ねた全米陸上選手権がインディアナポリスで開催された。ミズノを国際ブランドとして構築せよ、とのミッションを受けた我々は、五輪の花形種目である陸上の男女100メートルに注目していた。

 男子では前年のローマ世界陸上でカール・ルイスと契約済みだったが、彼とて生身の人間、何が起こるか分からない。もう一人、看板になる選手が欲しかった。その目前で、ジョイナーが31年たっても破られていない不滅の世界記録、10秒49を打ち立てたのだ。

 我々は感動を受けつつも、ただちに情報収集に動いた。当時、選手がシューズのラインをマスキング(ラインをスプレーやガムテープで隠す)しているときは、契約メーカーがないというサインだった。レース後、ジョイナーのマネジャーにダメもとでコンタクトしたところ「今はどこのメーカーとも契約していない」との返答。すぐにシューズを試したいという本人に届けたら、フィーリングが合った。多少の要望こそあったが、五輪モデルの開発が始まった。

 彼女は84年ロス五輪100メートルで銀メダルを獲得して以降、急激に記録が伸び、体も筋肉質になったことでドーピングのうわさがつきまとっていたが、ソウルの100メートルでは金、200メートルでも21秒34の世界新を樹立した。我々はレース後に祝勝会を予定し、競技場の出口で待っていたが、ジョイナーは1時間過ぎても現れない。ドーピング検査で陽性反応が出たのではと一瞬、不安になったが、約1時間後に何事もなく現れた。レース後の採尿でなかなか尿が出なかっただけだった。

 この大会でミズノのシューズは男女の100、200メートルで日本のメーカーとして初めて金メダルを獲得した。ジョイナーとルイスの使用したシューズは売り上げ、ブランド訴求力向上に多大な貢献があった。

 ジョイナーは大学で心理学を学び、ファッションや自らの筋肉美をどう表現するかのセンスが抜群だった。爪を長く伸ばしてカラフルなマニキュアを施し、レーシングウェアを片足だけ見せるビジュアルに大変にこだわった。89年に現役を引退し、のちに出産。ソウルのわずか10年後の98年9月21日に、心臓発作で帰らぬ人となった。疾走するかのごとく、38歳の若さで人生に幕を下ろした。

 多くのスターを生んできた男女100メートル。来年は誰が地球最速ランナーの称号を手にするのか、今から楽しみである。

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