高橋みなみ「パラリンピックの音や香りを生で感じて」…開幕まで1年、陸上短距離の井谷俊介と対談

対談後の撮影終盤に雨が降ったが、すぐにやみ空へ大きな虹がかかった。高橋(左)と井谷は感動して笑顔(カメラ・矢口 亨)
対談後の撮影終盤に雨が降ったが、すぐにやみ空へ大きな虹がかかった。高橋(左)と井谷は感動して笑顔(カメラ・矢口 亨)
高橋みなみ(右)に走り方のコーチングを行う井谷俊介
高橋みなみ(右)に走り方のコーチングを行う井谷俊介

 20年東京パラリンピック開幕まで、25日であと1年となった。56年ぶりに東京で開催される障害者スポーツの祭典は、22競技540種目で約4400人が熱戦を繰り広げる。陸上男子短距離(T64=下肢切断、義足装着)の井谷俊介(24)=SMBC日興証券=は、競技を始めてからわずか1年でアジアの頂点に立った。障害者スポーツの普及に注目する元AKB48でタレントの高橋みなみ(28)と対談を行い、大会出場に懸ける思いや金メダル獲得の夢などを語った。(取材・構成=谷口 隆俊、有野 博幸)

 ―1年後にパラリンピックが開幕します。

 井谷(以下、井)「日常生活では『もう1年か、早いなあ』と感じるけど、選手としては『まだ1年ある』という感覚。慌てることは何もないです」

 ―高橋さんは、東京都が設置した「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」のメンバーですね。

 高橋(以下、み)「もっと大きな盛り上がりが欲しい。どうしたら皆さんが『見に行きたい』と思うのかなって、いつも考えていて…。自国開催ですから、競技場が満員になって選手がベストを尽くせる環境を作りたい」

 井「そう言ってもらうと、ありがたいです。パラスポーツは、ハンディキャップを持つ選手が逆境を乗り越えて頑張るというイメージがある。でも、大会を観戦したり動画を見ていただくと、面白い、すごい、格好いい…。何かを感じてもらえるはず」

 み「先ほど練習を拝見しましたが、速くてビックリ。あれで6~7割の力と聞いて…。メチャクチャ、かっこよかった。音や香り、振動などが伝わるから、生観戦はいいですね」

 井「陸上を始めて11か月で、昨年10月のアジア大会に出場したんですが『案外、簡単なんでしょ?』って思われます。100メートルを11秒台で走れる日本人は4人だけ。世界の上位は10秒6で走る。パラ陸上のレベルは決して低くない」

 ―アジア大会100メートル予選で11秒70の当時アジア新記録。初出場Vでした。

 井「去年はけがや、本番に自分の力を出し切れないレースが多くて。自分の弱さというか、ふがいなさを感じて悔しかった。アジア記録を出すまで、11秒台は1回も出せなかった。練習では出ているのに…。走りながらタイム掲示を見て『この地点で10秒なら11秒台が出るかも』と思った」

 み「えっ? 走りながらタイムが見える?」

 井「見えるんです(笑い)」

 み「11秒台が出た時は?」

 井「ビックリしすぎて、何のリアクションも取れなかった。その後は達成感というか、今までの悔しさとかが報われたようで安堵(ど)感に包まれた。いつもなら『明日は決勝』とドキドキして緊張するのに『早く決勝を走りたい』と」

 み「すごい。スイッチが入った」

 井「絶対に俺が勝つって。自信が持てるきっかけのレースでした」

 ―井谷選手は大学2年の冬、交通事故に遭って右足が義足での生活に。

 井「陸上を始めて1年半くらいは、競技用義足で走ることに違和感があったんです。右足がグラついちゃう。膝カックンを後ろからされたみたいに、体がカクカクって。でも、今は走っている時も義足は自分の足。足を失う前の自分です」

 み「陸上を始めたのは?」

 井「足を切断したのが16年2月。退院した4月、三重県に義足の人たちが集まって走るコミュニティーがあると聞いて母と一緒に行った。走らなくていい、義足で生活するうえで勉強になることがあるかも、と。その頃、自分が障害者になったことで落ち込んで、将来に対して暗く感じるものがあった。でも子供や大人が一生懸命に、楽しそうに走るのを見て『自分も』と走ったんです。自分の足を失って、走るという行為ができなかったのに、いざ走ったら風がピューッと聞こえる。自分で風を切っている感覚が、すごく気持ちよくて。今までは当たり前のことだったのに『何でこんなに楽しくて幸せなんだ』と思った。落ち込んでいた母も『今日は走ってよかったね』と喜んでくれた。その年、リオデジャネイロでパラリンピックがあったのですが、もし自分が出たら…。義足になったことで皆を落ち込ませて皆から笑顔を奪ったと、すごく責任を感じていた。パラに出場すれば、笑顔を取り戻せるんじゃないかと思いました」

 み「それが東京なら…」

 井「どうしても出たい、となりますよね。でも競技用義足が高い。160万円くらい。保険も使えない」

 ―中・高と野球をして、大学では、小さい時から好きだったカーレースに参戦していた。

 井「はい。だからその時は、まずプロのレーサーになって、陸上はそれからでいいかと。でも、東京パラまでは時間がない。それに、車のレースは月に20~25万円はかかる。ガソリンスタンドやバーなどアルバイトを3つしても足りない。24時間続けたこともあって、バイト先から給料を前借りしていました。毎月給料を先にもらうから、常に前借りしないと回らないような状況だった」

 ―資金集めのため、企画書を作った。それをトップレーサーの脇阪寿一さんに見てもらう機会があった。

 井「企画書には『レーサーになりたい。もう一つの夢が東京パラに出たい。でも義足が高くて買えないから競技を始められない』と書いた。すると脇阪さんが『車のせいで人生が変わったのに、車を使うレーサーになって将来、生計を立てたいと言っている』と共感してくださった」

 ―脇阪さんから仲田健トレーナーも紹介された。元阪神の桧山進次郎氏や陸上の山県亮太らを担当する名トレーナーに、陸上経験のない井谷選手は調整方法や体の使い方なども教わった。

 井「僕は最初、腕の振りはあまり意識していなかった。腕の振りと足の動きは連動させる。あとは左右の脚の筋バランスが悪いので、筋力を整えれば苦手のスタートからでも力強く走っていける」

 ―高橋さんは芸能界で夢をかなえた。

 み「親が背中を押してくれて、オーディションを受けてAKBに入って、気づけばどんどん進んだ。目標を与えてくれる秋元康先生が自分の前にいて、それをクリアしていった。自分で何かを見つけにいくというのはAKBを卒業してから。目標は大事です。何かをかなえたいとか超えたいとか、自分の頑張り次第で変わる。結果が出れば分かってくるし、虜(とりこ)にもなる。オリコンで1位になる、東京ドームでコンサート…大きな夢をかなえた時の感覚は一生忘れられません」

 ―井谷選手は今年5月に11秒55を出し、アジア記録を更新した。

 み「記録でプレッシャーとか感じますか?」

 井「会場入りしてメディアが来ると、プレッシャーに感じる(笑い)。タイム、タイムと意識してうまく走れない。自分の弱い一面ですけど、意識がそっちへ傾き、集中できない。高橋さんも大きな舞台とかは緊張しますか?」

 み「おえつが出るくらい、緊張するんです」

 井「スイッチを入れるタイミングは?」

 み「ステージに出た瞬間ですね。その前の舞台袖で『う~ん』となって、後輩から『大丈夫ですか?』と心配されるのがいつもの光景。でも一歩前に出たら、たくさんのお客さんがいらっしゃるし、行くしかないって。この一歩で変わる。私としては、もうちょっと前でおえつを止めたいんですけど(笑い)」

 井「月末に初めてフランスへ行きます」

 み「海外のレースは違いますか?」

 井「レベルが高い。自分の刺激になるし、自分に何が現時点で足りないのか考えられる。ただ、ユニバーサルリレーという種目は、日本が金メダル候補なんです。1~4走まで異なる障害で男女2人ずつ。バトンの代わりに手でタッチしてつなぐ」

 み「男女混合? メッチャ面白そう」

 井「障害を乗り越えて勝負する、これぞパラリンピックという感じ。ランキング1位は中国ですが、僕らのベスト記録なら計算上、金メダルが取れる」

 ―プレッシャーをかけるわけではないけど、東京では、きれいな色のメダルを期待しちゃいます。

 み「メッチャ、かけている(笑い)」

 井「金メダル、欲しいですね。地元や高校、大学の友達…やっぱり母親に見せたい。最高の走りをして皆に恩返ししたい。金メダルを取って、母の首にかけてあげたい」

 み(うっとりして)「いいですねえ」

 井「母は、僕があの時バイクに乗っていなかったらとか、免許を取ることに反対しておけば、などと思っている。でも、この人生は間違っていなかったよ、運が悪かったけど不幸ではなかったよと、東京で示したい。必ず金メダルを取りたい」

 み「まだまだ記録も伸びるだろうなと考えると楽しみすぎますね。すいません、プレッシャーかけて(笑い)」

 対談後、雨の上がった駒沢陸上競技場に、虹がかかった。グレーの夕空に描かれた鮮やかな七色の半円。来年の東京パラまでかかる夢の懸け橋だった。

 ◆ユニバーサルリレー 男女2人ずつで1チームを構成。1走が視覚障害、2走が切断や機能障害、3走が脳性麻痺(まひ)、4走が車いす。男女の順番は各チームの戦略によって自由。走る順番も大事なポイントになる。

 ◆井谷 俊介(いたに・しゅんすけ)1995年4月2日、三重県生まれ。24歳。小学校でソフトボール、中学から野球を始め、津田学園高時代は投手。東海学園大入学後はカーレーサーを目指した。2016年2月、バイクで交通事故に遭い右膝下を切断。17年11月から陸上を本格的に始め、18年5月、北京での国際大会男子100メートル(T64)で初出場初優勝。同年10月のアジアパラ大会同種目では予選で11秒70のアジア新を出し、初出場初優勝。19年5月の国際大会(静岡)で11秒55を出し、アジア記録を塗り替えた。7月のジャパンパラ100メートル&200メートルで2冠。 179.8センチ、73キロ。

 ◆高橋 みなみ(たかはし・みなみ)1991年4月8日、東京都生まれ。28歳。2005年にAKB48の初期メンバーとしてデビュー。09年にチームAのキャプテンとなり、12年に総監督へ就任。13年に「Jane Doe」でソロ歌手デビュー。16年にAKB48を卒業。19年5月1日、一般男性と結婚。現在、TOKYO FM「高橋みなみのこれから、何する?」(月~木曜・後1時)のパーソナリティーを務める。

対談後の撮影終盤に雨が降ったが、すぐにやみ空へ大きな虹がかかった。高橋(左)と井谷は感動して笑顔(カメラ・矢口 亨)
高橋みなみ(右)に走り方のコーチングを行う井谷俊介
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