◆第101回全国高校野球選手権大会第14日 ▽決勝 履正社5―3星稜(22日・甲子園)
令和初の甲子園決勝。星稜(石川)の今秋ドラフト1位候補右腕・奥川恭伸(3年)が強打の履正社(大阪)打線に11安打5失点と打ち込まれ、北陸勢初の夏制覇という夢は破れた。だが、大会の主役として5登板で512球の熱投を繰り広げた剛腕に、4万4000人の大観衆から温かい拍手が注がれた。24日からはU―18W杯(韓国)に向けた日本代表合宿に合流。悲願の世界一を目指し、新たな戦いに臨む。
黄色のうねり、歓声が、聖地を包み込んだ。令和最初の決勝。敗れてなお、笑って勝者をたたえていた奥川の顔が、くしゃくしゃになった。取材を終え、スタンドから声が届く。「ちゃんとしろよ」。宇ノ気中3年夏、全国制覇した時の顧問・三浦隆則さんからの激励だった。「こみ上げてくるものがあって、そこから止まらなくなりました」。北陸勢の夏初制覇を逃し、こらえていた熱い涙が、とめどなくあふれた。
今春センバツで17奪三振完封した履正社の雪辱の炎が襲いかかった。「全然違うチームになっていた。春は淡泊なイメージだったが、粘り強く、低めの見極めも違った。打者の圧を感じた」。1点リードの3回2死から際どいスライダーを見極められ、珍しく連続四球。伝令の直後、4番・井上広大への初球だった。「テイクバックを取るときに(手が右)足にぶつかった」。まさかのアクシデントでスライダーが外角高めに抜け、バックスクリーン左に逆転3ラン。初戦から34回1/3で初の自責点に、「あれも自分の力みだと思う。悔しい一球だった」と唇をかんだ。
準決勝から新設された休養日を挟み中1日。初回から150キロ台を連発したが、「よくなかった。どこかで捉えられるだろうと思った」。5回に最速153キロの見逃し三振で井上にやり返したが、終盤はベンチで「球が走らない」と漏らした。7回に2点差を追いついた直後の8回。下半身に疲労も感じ、1死三塁で決勝中前打を許した。「(野手は)星稜の底力を見せてくれた。自分の粘り負けで申し訳ない」と肩を落とした。
親戚で星稜の先輩である巨人投手・高木京介(29)のエールに応えたかった。父・隆さん(53)の姉・真姫さんの長女の夫が高木。隆さんは「1か月くらい前に、高木君の2人目の子どもが100日のお宮参りで石川に来て、会いましたよ。2人とも無口なんでね、会話はほとんどなかった。まだ甲子園が決まってなかったかな。でも高木君に『頑張れよ』と声をかけてもらってました」。甲子園出場で改めて高木から激励が届き、力に変えた。
巨人最強バッテリーを追いかけた。奥川は「すべて一級品。自分もそうなりたい」と尊敬する菅野モデルのグラブを愛用。甲子園に合わせ、「サイズを小さめに」新調した。酷暑の中で少しでも負担を和らげ、左手の引きつけにもこだわった。宇ノ気小4年時から9年間バッテリーを組む山瀬慎之助は、名前が同じ巨人・阿部モデルのプロテクターを装着。高校NO1の強肩を誇る捕手は、オレンジ色の阿部タオルも使い、最後までエースをもり立てた。
公式戦自己最多タイの11安打を浴び、9回5失点完投。「野球の神様が自分に与えてくれた課題かな」。それでも6三振を加え、4季連続の聖地で通算100奪三振。24年ぶりの銀メダルを胸にマウンドの土を集めた。「ここまで来られて幸せだった。甲子園球場にありがとう」。今春センバツから公式戦全13試合で150キロ以上をマークし、今大会5登板で512球。星稜の新たな伝説を刻み込んだ。(山崎 智)
◆奥川 恭伸(おくがわ・やすのぶ)2001年4月16日、石川・かほく市生まれ。18歳。宇ノ気小2年から宇ノ気ブルーサンダーで野球を始め、宇ノ気中3年夏に「1番・投手」で全国中学校軟式大会優勝。星稜では1年春の北信越大会からベンチ入り。甲子園は2年春から4季連続出場。昨夏に2年生で唯一、U―18日本代表に選ばれ、今年も代表入り。183センチ、84キロ。右投右打。家族は両親と兄。