【世紀をつなぐ提言】64年大会カヌー代表・本田大三郎<下>「2番以下はビリと同じ」

64年大会について語る本田
64年大会について語る本田

 64年10月20日、岩村俊一と組みカナディアン・ペア(1000メートル)の予選に臨んだ本田は、スタートダッシュに成功し750メートルまではトップを走った。会場の神奈川・相模湖に集まった観客は大いに沸いた。だが、ここから次々と外国艇に抜かれ、4分25秒86で5位。決勝進出の3位以内には入れなかった。翌日は敗者復活戦となる準決勝に回ったが、予選で力を使い果たしておりタイムは伸びなかった。

 「2番以下はビリと同じというのが僕の哲学なんです。銀とか銅はいらないんです。(3年前)ゼロからカヌーを始めて、本番までには時間が足りなかった。だから、持っている力を出して負けたらしょうがない」

 2500万円もかけて自分の求める艇をつくり上げ、玉砕覚悟で750メートルまで首位に立った展開に納得していた。その強い思いは、長男・多聞(55)にも受け継がれた。自宅にレスリングの練習場をつくり、メダルはならなかったものの84年ロサンゼルス大会から92年バルセロナ大会まで、3大会連続の五輪出場を成し遂げた。兄の孫でサッカー元日本代表MFの本田圭佑(33)には日記をつけることを勧め、後に「本田ノート」として話題になった。

 84歳になった今でも、神奈川・三浦市を中心として高校生までの子供たちにカヌーを教えている。鹿児島・奄美大島まで数隻の艇を載せたトラックを自ら運転して出かけるなど、全国でカヌーの裾野を広げる活動を精力的に行っている。

 17年の日本選手権で、男子選手がライバル選手の飲み物に禁止薬物を混入させた事件が起きた時にはショックを受けた。「今までやってきたことは何だったのかと思いました。それからは寺子屋方式で、競技だけではなく行儀や作法を教え、自分で自分の管理ができるように指導しています。来年は人の心に残るものがカヌーにもできれば」と思いを込めた。(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

 ◆本田 大三郎(ほんだ・だいざぶろう)1935年2月17日、熊本・坂本村(現・八代市)生まれ。84歳。八代高から日体大を中退(後に功績が認められ特別卒業)し、自衛隊へ。72年ミュンヘン五輪日本代表コーチ。現在はマホロバ・ホンダカヌースクール代表。

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