関東第一の主砲・平泉、天国の父へありがとう弾「甲子園で打つのが夢だった」

3回1死、関東第一・平泉が中越え本塁打を放つ(カメラ・馬場 秀則)
3回1死、関東第一・平泉が中越え本塁打を放つ(カメラ・馬場 秀則)

◆第101回全国高校野球選手権大会第5日 ▽1回戦  関東第一10─6日本文理(10日・甲子園)

 関東第一(東東京)は、主砲・平泉遼馬一塁手(3年)の高校通算37号となるバックスクリーン弾を含む、4打数2安打2打点の活躍で逆転勝ち。甲子園春夏合わせて20勝目を挙げ、平成元年の夏の甲子園を制した帝京に続く、東東京勢による「元年制覇」へ好スタートを切った。熊本工は延長12回、山口環生(たまき)一塁手(3年)が、バックスクリーンへ大会通算21本目、令和初となるサヨナラ本塁打。夏の甲子園通算30勝目を挙げた。

 仲間の夢を乗せた白球が、夏空に大きな放物線を描いて、バックスクリーンど真ん中に吸い込まれた。2点を追う3回1死、3ボールからの4球目。「4番の自分が打てばチームの流れが変わると思った」と、高校通算37号のソロがムードを変えた。直後にチームは逆転。再びリードを許した4回には右翼へ同点三塁打を放ち、直後の勝ち越しにつなげた。平泉の一撃が突破口となり、15安打10得点の猛攻で日本文理を退けた。

 平泉の野球生活は、父・克則さんにフリーマーケットで買ってもらった1本のバットから始まった。「最初はそのバットで新聞紙を丸めたやつを打っていたら、父がそれを見て少年野球チームに入れてくれた」。小学3年生の時に父と一緒に出場した試合で、父が放った左翼への豪快な一発が今も脳裏に焼き付いている。「自分が捕手をしていて目の前で打たれて。帰り道に父から『俺が打てたのはトレーニングバットを振っていたからだよ』と言われた」と、日々の努力の大切さを教わった。

 そんな父との別れは突然だった。小学4年生の時、克則さんは心筋梗塞で42歳の若さで死去。母・貴子さん(54)は「大丈夫?と聞くと『野球があるから大丈夫』と言っていた。弱さを見せない子なんです」。

 「打つことが大好き」という平泉は、父が教えてくれた「努力の大切さ」を胸に、振り込み練習に明け暮れた。学校で同じクラスの渋谷嘉人主将は「平泉は休み時間でも教室でバットを握っていたり、絶対に雑に扱ったりしない」と、バットとまさに一心同体だ。

 夢舞台での一発に平泉は、「甲子園で打つのが夢だった。小さい時に見た父の本塁打の弾道に似ていた気がした。ホームランボールは、今まで見守ってくれた母に渡したい」と笑みを浮かべた。4番のスイングが、チームを日本で一番長い夏へと導く。(奥津 友希乃)

 ◆平泉 遼馬(ひらいずみ・りょうま)2001年9月13日、東京・大田区生まれ。17歳。小1から雪谷スターズで軟式野球を始め、雪谷中では世田谷西シニアに所属。高校通算37本塁打。176センチ、80キロ。右投右打。家族は母と妹。

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