初期の新日本×全日本、どっちがスゴかった?…金曜8時のプロレスコラム

昭和の写真が強烈なプロレス専門誌「Gスピリッツ」
昭和の写真が強烈なプロレス専門誌「Gスピリッツ」

 今年3月7日に88歳で亡くなった“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーさん(本名、リチャード・ベイヤー)の追悼興行「ザ・デストロイヤー メモリアル・ナイト~白覆面の魔王よ永遠に」が11月15日、東京・大田区総合体育館で開催されることになった。

 7月29日に開かれた記者会見では、全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(64)と元新日本プロレス社長の藤波辰爾(65)=ドラディション=が並んだ。日本プロレスから全日本プロレスを主戦場にしたデストロイヤーさんだけに、PWFドリー・ファンク・ジュニア会長(78)、スタン・ハンセン氏(69)、徳光和夫アナウンサー(78)の参加は予想されたが、藤波の全面協力は意外だった。

 1971年に日本プロレスでデビューしながら、その年末に師匠・アントニオ猪木氏の独立に随行し、72年3月の新日本プロレス旗揚げに参加した藤波は、猪木氏の付き人として、デストロイヤーさんをリング下から見上げた一時期があったのだ。「デストロイヤーさんとは一度、対戦したかったですが、今回の追悼興行に自分が名を連ねられるのは光栄です。精いっぱい協力したい」と藤波は青春時代を思い出すかのように「マスクが欲しい」とコメントした。

 同じ72年の10月にジャイアント馬場さんが全日本プロレスを旗揚げ。以降、日本プロレス最強のBI砲は、激烈な興行戦争を繰り広げることになる。昭和のプロレスファンは、常に「馬場派(全日派)」か「猪木派(新日派)」かの色分けを余儀なくされていた。まれに「国際派」もいたが、ここでは置いておこう。今でこそ新日本プロレスの1強支配となっているが、全日本と新日本はどっちがスゴい?の論争は尽きなかった。

 昭和のプロレスファンの郷愁をくすぐるプロレス専門誌「Gスピリッツ」(辰己出版、1200円+税)は、直近2号の特集が「初期の新日本プロレス」(vol.51)、「全日本プロレス スーパーレジェンド列伝」(vol.52)。

 新日本の表紙はアントニオ猪木VSジョニー・パワーズのNWF戦で、サブタイトルは「苦難を乗り越えて…『金曜8時』黄金期が始まった」。全日本の表紙はアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・デストロイヤーで、サブタイトルは「やっぱり馬場・全日本の『ガイジン』が最高!」これだけもわかるように、初期の新日本は猪木が孤軍奮闘する暗中模索時代、一方の全日本は馬場の人脈で、豪華外国人のカーニバルだった。

 さらに全日本は”仮面貴族“ミル・マスカラスで少年ファンを引きつけた。デストロイヤーさんとマスカラスの覆面世界一決定戦を惜しみなく連発した。「Gスピリッツvol.52」では、ドクトル・ルチャこと元週刊ゴング編集長の清水勉氏が「全日本時代のマスカラス名勝負ベスト10+α」を紹介している。「Gスピリッツ」別冊のマスク本の決定版「国宝級マスク研究」(1600円+税)を参照に読みたい企画だ。

 当時世界最高峰のNWA世界ヘビー級王者に兄弟で君臨したドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのザ・ファンクス、今月1日に76歳で亡くなった”ミスター・プロレス“ハーリー・レイスさんら、”外タレ“がどんどん全日本にやって来た時代だった。

 「Gスピリッツ」の定義では、初期のとは「1972年から1975年」となっており、この時期においては全日本の圧勝と言わざるを得ない。新日本の反攻は、「格闘技世界一決定戦」が始まる1976年からだった。初期の新日本では、無名だったタイガー・ジェット・シンがのし上がっていき、NWFの権威を高める期間だった。そして表には見えない道場でストロングスタイルが研鑽されていった。

 「Gスピリッツ」の佐々木賢之編集長(47)は「1980年代のブームでアントニオ猪木、初代タイガーマスクの本は売れましたが、全日本の特集はあまり出ていなかったんです。今、新しいファンが増えてますので、新日本だけではなく、全日本、そして国際プロレスの歴史を知ってもらうことで、流れが理解できると思うんです」と発掘と調査研究に使命感を燃やしている。「ザ・デストロイヤー メモリアル・ナイト」では、またあの頃の昭和独特の雰囲気を味わいたい。藤波が現役プロレスラーとして参戦することで、時計の針を一瞬だけ戻すことができそうだ。(酒井 隆之)

 ◆ザ・デストロイヤー 本名、リチャード・ベイヤー。1930年7月11日、米国バッファロー生まれ。大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍し54年に素顔の「ディック・ベイヤー」でプロレスデビュー。62年に覆面レスラーの「ザ・デストロイヤー」に変身し、WWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と激闘を展開。力道山の没後は、ジャイアント馬場さんのライバルとして活躍した。馬場さんが72年に全日本プロレスを設立後は、日本に在住し、全日本の所属選手としても活躍。日本テレビのバラエティー番組「うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、徳光アナに必殺の足4の字固めをかけ、お茶の間の人気も獲得した。93年に現役を引退。2017年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章した。

コラムでHo!とは?
 スポーツ報知のwebサイト限定コラムです。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

格闘技

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請