元巨人代表・山室寛之さん、近鉄VSロッテ「10・19」30年後の真実を明かす…「1988年のパ・リーグ」

元巨人代表・山室寛之さんの著書「1988年のパ・リーグ」
元巨人代表・山室寛之さんの著書「1988年のパ・リーグ」
大阪球場での最終戦後、球団旗を持って手を振る南海・杉浦忠監督(右、88年10月15日)
大阪球場での最終戦後、球団旗を持って手を振る南海・杉浦忠監督(右、88年10月15日)
阪急の身売りで記者会見に臨む上田利治監督(右、88年10月19日)
阪急の身売りで記者会見に臨む上田利治監督(右、88年10月19日)
川崎球場近くの建物屋上からロッテ対近鉄戦を観戦する多くのファン(88年10月19日)
川崎球場近くの建物屋上からロッテ対近鉄戦を観戦する多くのファン(88年10月19日)

 プロ野球の元巨人代表・山室寛之さん(77)の著書「1988年のパ・リーグ」(新潮社、1674円)が出版され、注目を集めている。関西の名門球団・南海(現ソフトバンク)と阪急(現オリックス)の相次ぐ身売り、優勝のかかった近鉄(後にオリックスと合併)がロッテと死闘を繰り広げた「10・19」。野球ファンの魂を揺さぶった昭和最終シーズンのニュースを掘り下げ、浮かび上がった「30年後の真実」を著者が明かした。(桃井 光一)

 6歳から22歳まで福岡市で過ごし、中学から大学までの10年間、野球部で外野手、捕手として活躍した山室さん。南海がダイエーに買収される章では、地元・福岡と野球への思いがにじむ。

 「1954年6月、僕が中1の時、平和台球場にナイター照明が設置された。ポッポッポッと明かりがつくのを見て感動した。強かったライオンズは西鉄、太平洋クラブ、クラウンライターと親会社が変わり、79年のシーズンから西武ライオンズとなって本拠地は埼玉・所沢市に移った。チームはなくなっても、福岡の街にはプロ球団への強い郷愁が残っていました」

 86年頃から「福岡に再びプロ野球の灯を」と、福岡青年会議所を中心にした誘致活動が盛んになる。当時、球団買収を目指しロッテと交渉していたダイエーは、福岡市内の盛り上がりを察知し「本拠地は福岡」と決めていた。

 「ダイエーの交渉相手はロッテから南海に変わり、その話がスムーズに進んだのも福岡の誘致活動があったから。活動を後押ししたのは福岡市職員の『市民連帯意識向上の一方策―市民球団の創設』と題した論文で、『関東(西武、日本ハム、ロッテ)と関西(南海、近鉄、阪急)に3球団ずつが集まり、本拠地分散を望む声が強いパ・リーグの1球団を買収して福岡へ移転させる』と先見性に富んだ内容でした」

 阪急がオリエント・リース(以下オリエント)に買収される章で、山室さんは特ダネを放つ。三和銀行(現三菱UFJ銀行)やオリエント、阪急電鉄、積水ハウスなど、異業種の若手幹部が沖縄・宮古島で行った88年8月の会合が発端となったことを紹介。翌89年から社名を「オリックス」に変える予定のオリエント社員が「告知には金も時間もかかるから『いっそのことプロ野球の球団を持ったらどうか』という話がある」と宴席で発言した。

 同席していた阪急電鉄社員は、同社の小林公平社長から「宝塚歌劇、阪急とも赤字。プロ野球には12球団あるが、歌劇は稀少。お荷物は二ついらない」と聞いていた。三和銀行幹部はダイエーの南海買収が進んでいること、「他球団が身売りした年に球団を手放したい」という阪急電鉄の本音を知る立場にあった。数日後、阪急売却に向けた交渉がひそかに始まった。

 「南の島でたまたま、南海とダイエーの進行状況を知る人、オリエントと阪急電鉄のトップ情報を知る人が一緒になった。『歴史の必然』とされた老舗球団の身売りは、すごい偶然が重なって『必然の結果』になったと思う。その日から30年以上が過ぎ、今だから分かることもあった。取材でお目にかかった方がいなかったら、この本にはたどりつけなかった」

 山室さんが「偶然の総仕上げ」と呼ぶのが「10・19」。大阪の朝日放送が88年9月末、「優勝を決める大一番になる」と確信して10月18、19日のロッテ対近鉄3連戦(川崎)の中継権を獲得した。手に汗握る展開となり、19日のダブルヘッダー第2試合途中からテレビ朝日系列の全国放送に。午後9時からの「さすらい刑事旅情編」は放送中止、午後10時からの「ニュースステーション」(以下Nステ)は放送時間内で、試合終了の同56分まで中継を続けた。

 「阪急の身売り会見は第1試合中の午後5時から始まった。Nステの担当部長だった早河洋さん(現テレビ朝日代表取締役会長兼CEO)が『この日は昭和天皇の闘病1か月、ブラックマンデー1周年も重なるニュースの特異日』と話した言葉が印象深い。朝日放送のギャンブル的な中継権獲得、早河さんのNステ内での中継決断がなかったら『10・19』は伝説まで昇華しなかったはずです」

 ◆南海の身売りスクープ、スポーツ報知記者が実名登場

 南海のダイエーへの身売りは88年8月28日、スポーツ報知と読売新聞大阪・西部本社、西日本新聞社が第一報をスクープ。当時、南海担当記者だった筆者は、山室さんの著書に実名で登場している。

 ニュースが出る前々日、デスクからの極秘指令。南海・吉村茂夫オーナーの反応を取るため、午前6時にオーナー宅を訪れた28歳の「あの日」が再現されている。パソコンも携帯電話もなく、原稿は手書きの時代。連絡用の公衆電話、原稿を送信するファクスを借りられそうな店を汗だくになって探し回る毎日だった。

 筆者は年明けから、南海身売り報道に没頭。「10・19」の最中には、まさかの阪急身売りが発表された。阪急、近鉄、南海の在阪パ・リーグ担当記者にとって、88年は「ほとほと消耗した」1年だった。

 ◆山室 寛之(やまむろ・ひろゆき)1941年10月9日、北京生まれ。77歳。日本エッセイスト・クラブ会員、野球史家。64年3月、九州大文学部卒。同年4月、読売新聞社入社。社会部長、西部本社編集局長を経て、98年6月から2001年6月まで巨人代表。「マネー犯罪」(ダイヤモンド社)、「野球と戦争」(中央公論新社)、「プロ野球復興史」(同)、「巨人V9とその時代」(同)、「背番号なし 戦闘帽の野球」(ベースボール・マガジン社)など著書多数。

元巨人代表・山室寛之さんの著書「1988年のパ・リーグ」
大阪球場での最終戦後、球団旗を持って手を振る南海・杉浦忠監督(右、88年10月15日)
阪急の身売りで記者会見に臨む上田利治監督(右、88年10月19日)
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