大仁田厚61歳の決意は、77歳グレート小鹿との新・極道コンビ…金曜8時のプロレスコラム

リング上で構想を語り合うグレート小鹿(左)と大仁田厚
リング上で構想を語り合うグレート小鹿(左)と大仁田厚

 5か月ぶりにリング復帰した元参院議員の大仁田厚(61)が、8月25日の大日本プロレス、愛知・名古屋国際会議場大会で、大日本プロレス会長で現役レスラーのグレート小鹿(77)と初タッグを結成して、新・極道コンビとして、青柳政司(62)、高橋匡哉(32)組と対戦することが決定した。

 大仁田は、変形性膝関節症のため、2月に両人工膝関節置換術を受け、長期欠場していたが13日に東京・新木場1stRINGで開催された「大仁田厚デビュー45周年記念大会」でリング復帰。これを待ち構えていたのがグレート小鹿だった。大日本の8・25名古屋大会の参戦要請に、小鹿会長が直々にあいさつに訪れたのだ。

 全日本プロレス時代の兄弟弟子という関係だが、ともに独立後は大仁田のFMWと小鹿の大日本プロレスは、商売敵として激烈なインディー戦争を繰り広げており、接点はなかった。だが今年2月19日に東京・両国国技館で開催された「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」で大仁田と小鹿が8人タッグマッチで対戦したことから、小鹿が大仁田の初招へいを決めた。

 小鹿は「77歳を過ぎて、これからあと何年、あと何回リングで試合をできるか考えてみると、全日本プロレスで一緒だった大仁田と戦って、心に一つのの灯がともった。大仁田、渕(正信)、薗田(一治)が馬場さんの下で(育って)、恵比寿の道場での若い時のことを年がいもなく思い出しまして」と懐かしんだ。

 そして「体全体のエネルギーはまだまだ残っている。もし、よかったら、嫌だろうけど、先輩をパートナーにするというのはどうかな」と呼びかけた。大仁田は「戦うつもりでしたけど、タッグを組むんだったら、グレート小鹿さんの本当のタッグパートナーは大熊元司さんです。僕は大熊元司さんになったつもりでタッグを組みます。大熊元司さんを偲ぶメモリアル兄弟弟子タッグで」と宣言した。

 大熊元司さんは小鹿と極道コンビとしてアジアタッグ王者になるなど、昭和の全日本プロレスの名脇役チームだった。小鹿が最初の引退をしてからは、永源遥らと悪役商会を結成したが、1992年に51歳で亡くなっている。小鹿は、驚きながらも元パートナーの大熊さんの名前が出たことに感動。新・極道コンビ結成が決まった。

 大仁田は「小鹿さんは、唯一、アメリカでミル・マスカラスとテリー・ファンクからピンフォールを取った男。リングネームはカンフー・リーでしたっけ」と少年時代にプロレス雑誌で、小鹿の雄姿を見たことを懐かしそうに語った。大仁田にとって、カンフー・リーはレジェンドだった。

 会談終了後、小鹿は「大仁田がクマさんの名前を出してくるとは思わなかった。これまで、クマさんの代わりに名乗り出たレスラーはいなかった。うれしいね。大仁田はいろんな経験をして、還暦を超えて、人間が大きくなったな」とコメントした。

 それを伝え聞いた大仁田は「褒め殺し合戦になってるな」と苦笑した。そして「たぶん、タッグは史上初。確か6人タッグで対戦したことがあるけど、組んだ記憶はまったくない」と話した。ジュニア王者と悪役コンビとキャラクターが違うだけに、同じ全日本にいながら、別枠だったのだ。

 それにしても、極道コンビは武骨だったが、黒のロングタイツに黄色い稲妻のデザインはカッコ良かった。1979年8月26日の夢のオールスター戦(日本武道館)での長州力(新日本プロレス)、アニマル浜口(国際プロレス)組のタッグマッチは、今から思えば絶妙な夢のカードだった。結果も極道コンビの反則負けという、らしい幕切れだった。大仁田は第1試合のバトルロイヤルに出場。

 あれから40年を経ての新結成。61歳と77歳が、現役だからこそのメモリアルだ。1試合だけの打ち上げ花火に終わるのか。空中分解だってあり得る両雄。危なっかしい還暦と喜寿を見てられないと思う一方で、行く末が気になってしまったりもする。(酒井 隆之)

コラムでHo!とは?
 スポーツ報知のwebサイト限定コラムです。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

格闘技

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請