村田、334秒で王座奪還!魂の170発「違った景色がありました」…独占手記

2回TKOでロブ・ブラント(奥)に勝利、王座奪還を果たした村田諒太は両手を上げて喜ぶ(カメラ・渡辺 了文)
2回TKOでロブ・ブラント(奥)に勝利、王座奪還を果たした村田諒太は両手を上げて喜ぶ(カメラ・渡辺 了文)

◆報知新聞社後援 プロボクシング ▽WBA世界ミドル級タイトルマッチ12回戦 ○村田諒太(2回2分34秒 TKO)ロブ・ブラント●(12日、エディオンアリーナ大阪)

 奇跡の男だ! 前WBA世界ミドル級王者・村田諒太(33)=帝拳=がド迫力KOで王座に返り咲いた。王者ロブ・ブラント(28)=米国=に開始から打撃戦を仕掛け、2回に猛ラッシュでダウンを奪取。さらに強打でたたみかけ、2回2分34秒TKOで下した。昨年10月の米ラスベガスでの防衛戦で判定負けを喫し王座陥落。スポーツ報知に独占手記を寄せ、敗戦から9か月間、胸に秘めた思いを明かした。(観衆6500)

 ブラントに雪辱することができた。なによりもホッとした。もうしばらくしたら喜びがわいてくるかもしれない。充実した練習ができていたから、やりきった感じはある。こんな結末だったけど、今日は僕の夜で、前回はブラントの夜だっただけと思う。

 復帰戦でいきなり再戦ができたことは、本田会長を始め、チーム帝拳のみんなには感謝の気持ちしかない。エンダムとの再戦も含め、チャンピオンベルトを持たない、丸腰の立場で3度も世界戦に挑めた。五輪の金メダリストでなければ、こんなにチャンスをもらえない。金メダルは何かと重たいが、またプラスに働いた。

 昨年12月に現役続行を表明する前、妻には普段の会話の中で思いを伝えた。妻は何も言わなかった。ロンドン五輪の後、アマチュアからプロ転向を初めて相談した時は猛反対されました。それはアマチュアで競技を続けられないとか、後ろ向きな理由だったから。もう一度、思い返し「プロの世界王者でラスベガスのリングに立つ」という昔の夢を伝えたら許してくれました。今回も、妻は僕がやり尽くしているように見えなかったようです。

 チャンピオンの頃は雑念が多かった。流されやすくて、ボクシングもいろいろと変化を求めていた。楽をしてしまうんです。基本の繰り返しが大切だけど、周りが言えば「そうかもしれない」と思ったり…。勝つための必殺技みたいなもの、スペシウム光線が常に欲しいと思っていた。地に足がついてなかった。王座を守るためには地道なことをするしかないのに…。そこに気づかなくても倒せていたし、勝てていた。ブラントとの敗戦で気づかされた。

 世界王者でなくなった時、喪失感はあまりなかった。むしろ王者だった時に失ったものもあると思う。周りからちやほやされ、自分が自分でなくなるみたいな感覚があった。「チャンピオン!」と呼ばれ、近づいてくる人もたくさんいた。もちろん、世界王者は価値あるものだけど、本来ある村田諒太の価値ではない。王者の時と、そうでない時の自分。人としてどちらがいいのか。年齢を重ね、経験もあり、今の方が内面を成長させられている。

 世界チャンピオンであっても「王様」にはなりたくない。メンタルまで横柄になるのは嫌。人間、自分を省みることがないといけない。自分にも嫌な側面を見ることがある。これからはどこまで自省できるか。人生の課題になると思う。

 ボクサーは面白いもので、勝ち負けで見える景色が変わってくるんです。エンダムとの再戦の前は重圧が苦しくて「この試合が終わったら勝っても絶対に辞めてやる」と思っていた。でも今は続けている。今夜も違った景色がありました。

 先のことは何も考えていない。完全燃焼できたと思えるなら辞めるかもしれない。ここまで来たら「(ミドル級ライバルの)アルバレスやゴロフキンと戦いたい」と思えば続ければいい。すがらないことは大事。僕がボクシングにすがっていて、辞めるべきタイミングでも続けていたら誰かに言ってもらわないといけない。一つ言えるのは、幼い頃から描いていたラスベガスでのビッグマッチの大きな夢へ、8合目まで来ましたかね。(WBA世界ミドル級王者)

 ◆村田 諒太(むらた・りょうた)1986年1月12日、奈良市生まれ。33歳。中学1年でボクシングを始め、南京都高で高校5冠。東洋大、同大学職員で全日本選手権優勝5回。2012年ロンドン五輪ミドル級で日本勢48年ぶりの金メダル。13年8月にプロデビューし、17年10月にWBA王座奪取。18年4月にミドル級では日本人初の防衛成功。昨年10月、2度目の防衛に失敗し王座陥落。身長183センチの右ボクサーファイター。家族は妻と1男1女。

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