沖縄勢初・甲子園Vの金城孝夫監督が23年ぶり“古巣”復帰 愛知黎明監督で目指すもの

愛知黎明の監督に就任した金城孝夫監督
愛知黎明の監督に就任した金城孝夫監督
愛知黎明・井上毅校長(左)と握手する金城孝夫監督
愛知黎明・井上毅校長(左)と握手する金城孝夫監督
練習後にアドバイスを送る愛知黎明・金城監督
練習後にアドバイスを送る愛知黎明・金城監督
練習後に金城監督のアドバイスを聞く愛知黎明ナイン
練習後に金城監督のアドバイスを聞く愛知黎明ナイン
愛知黎明高校
愛知黎明高校

 沖縄尚学を率い、1999年センバツで春夏通じて沖縄県勢初の日本一を成し遂げ、長崎日大では大瀬良大地(広島)を育成した名将・金城孝夫監督(65)が4月から愛知黎明の監督に就任した。旧校名の弥富時代に20年間監督を務めた古巣への23年ぶりの復帰。就任早々、低迷していたチームを春の県大会で準優勝させ、東海大会に導くなど、チームをV字回復させた手腕に迫る。(高柳 義人)

 65歳になっても野球に対する情熱は衰えるところかますます盛んだ。「もう1回勝負がしたいなと思いました」。昨夏限りで、教員として定年となる65歳を区切りに長崎日大の監督を退くことが決まっていた。「久しぶりにいいチームができて、“勝てる”という確信があった。夏の戦い方、コンディションに自信を持っていた」。だが、長崎大会準々決勝で創成館に完敗した。「甲子園に行っていたら、やりきったからいいやと思ったかもしれません。この経験と反省を生かして勝負したいなと思いました」。

 退任後、数校からの誘いを受けたが、選んだのは、大学卒業後、初めて監督を務めた古巣だった。20年監督を務めた学校は2013年に弥富から愛知黎明と校名が変わっていた。23年ぶりの復帰を選んだ。「OBから声がかかって『戻ってきてください』と言われました」かつて指導した教え子からのラブコールを受け、同校に連絡をした。井上毅校長は、金城監督の同期だった。「最近野球部は低迷していたので、戻ってきてくれないかなとは思っていましたが…。まさか来てくれるとは思わなかったです。(甲子園で優勝して)雲の上の人になっていましたから」(井上校長)。それでも若い頃は教育論を戦わせ切磋琢磨(せっさたくま)した気心知れた仲間でもあり、復帰が決まった。

 少子化で18歳人口が減少している現在、愛知黎明も生徒数が600人弱。最盛期の3分の1だ。生き残りをかけ独自性を打ち出している。「未来型学力」をスローガンに13年から看護士を養成する5年制の看護科を設立。2年連続で国家試験合格100%を記録し一つの柱となった。金城監督は野球部の指導に加え、もう一つの柱と期待されるアスリート探求コースを統括する副校長も兼任し、野球部に加え、駅伝競走部、男子バスケットボール部など6つの強化部を担当することになった。

 いわゆる体育コースとは違う一面もある。週6コマコース特有の授業があるが、実技に費やすのは4コマ。残り2コマはトレーニング論や食事論などの座学となり、卒業するためには論文提出が義務づけられている。

 金城監督は弥富時代はスパルタで長時間の猛練習で選手を鍛え上げてきたが、沖縄尚学では「日常生活の延長に野球がある」と人間性を高めることを重視する指導法に変えた。1億の借金をして自費で寮を建設。選手と寝食をともにして、チームを日本一に導いた。長崎日大でも同様の手法で夏の甲子園4強となった。「弥富にいたときの最後の数年間は考えていたことですが、学校が変わったことで思い切ってできた一面もあります。弥富時代の教え子に言われるんですよ。『今みたいな教え方だったら僕らももっと勝てたかもしれない』って」と金城監督。集大成として、指導者の原点でもある古巣への恩返しを選んだ理由でもある。

 4月から愛知黎明に赴任し監督に就任すると、チームはいきなり快進撃を続けた。県大会で準優勝し、東海大会出場を決めた。エース右腕・大野浩史朗(3年)は金城監督にいきなり投球フォームを指導された。「高校に入学してから自己流でやってきて、一度も指導されたことがなかった。でも体重移動とバランスを教わって球速がアップしました。いい結果にもつながったし、今は野球をやっていて楽しい」と話した。松原克樹主将(3年)も「僕らが入学して3人目の監督で、夏まで3か月しかないときなので正直戸惑いはありました。でも野球に対して熱い方です。春もまさか準優勝までできるとは思わなかった。神様がチャンスを与えてくれたのかもしれない」。指導に飢えていたナインは、まるで乾いた大地が水を吸収するように、急成長を遂げた。

 40年を超える指導者人生。金城監督は「野球のコーチングは今が一番充実しているかもしれません。毎日グラウンドに出て子供たちと向き合うのはこんな面白いんだと実感しています」。8年前には肝腫瘍で8時間半の大手術を行ったが、1か月をたたずにグラウンドに復帰した熱血漢でもある。「いわゆる野球名門校には技術力や身体能力はかなわない。でもあきらめる必要はない。その部分を“人間力”で埋めることができる。弱いチームでも強いチームに勝つことができるのが野球。その範囲内まで(チーム力を)上げれば勝負できる」。

 愛知黎明の野球部グラウンドに面した通りには桜並木になっている。4月は満開の桜が金城監督を迎えた。「ちょうど弥富を辞めるとき、桜の木を植えた直後だったんじゃないかな」。小さな苗木は23年の時を経て、根をしっかりと張り、大きな幹となり、きれいな花を咲かせた。学校を野球部を元気に…。第1シードで迎える新生・愛知黎明の初戦は14日。金城監督にとって3校目となる甲子園を目指した戦いが始まる。

 ◆金城 孝夫(きんじょう・たかお)1953年11月15日、沖縄生まれ。65歳。豊見城高では栽弘義監督のもとプレー。中京大では準硬式野球部に所属。卒業後の76年に弥富の監督。96年に退任し、沖縄尚学コーチを経て98年8月に監督に就任。99年にセンバツで沖縄県勢初優勝。03年夏を限りで退任し、04年夏から東農大三(埼玉)へ。06年夏に長崎日大監督に就任し、07年夏に甲子園4強。18年夏で退任し、19年4月に愛知弥富監督に就任。甲子園出場は春夏通算6度。

愛知黎明の監督に就任した金城孝夫監督
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