「走れるプロップ」山下裕史は強く優しい「裏ボス」…恩師が語る日本代表

 2大会連続のW杯出場を目指す山下裕史(33)=神戸製鋼=は、ラグビーを始めた都島工高時代から「走れるプロップ」だった。当時の監督・滝林賢次氏(66)=現・大阪国際大部長兼コーチ=は「初めて見た時から180センチ、100キロぐらいあったが(走力自慢の)フランカーより足が速かった。嫌な顔もせず走り込み、最上級生でレギュラー。ここまでの選手になるとは」と喜んだ。主将や副将などの役職ではなかったが「裏ボスみたいな存在。何かあれば俺が、とドシッと構えていた」と懐かしんだ。

 当時から強さだけでなく、優しさも兼ね備えていた。「山下は毎日、練習で汚れたジャージーを学校で自分で洗っていた」。中学時代に父・倫男(みちお)さんを病気で亡くし、姉、自分、弟の3きょうだいを女手一つで育てる母・佳子さんの負担を減らすためだった。3年秋の全国大会予選では同高初の花園出場を期待されたが、準決勝で大阪桐蔭に逆転負け。悔しがる選手らに滝林監督が歩み寄ると、山下らは指揮官を胴上げした。「負けて胴上げされたのは初めて。僕を慰めようと、やってくれたと思う」

 卒業後、山下は京産大、神戸製鋼でスクラム技術を高めた。高校時代に花園へ連れて行けなかった滝林氏へ、15年W杯初戦の南アフリカ戦のチケットを送った。大舞台では途中から出場し、敵陣ゴール前で得たPKでスクラムを選択し、逆転金星に貢献した教え子を見た時、視界がかすんだ。「笑顔なのに、涙があふれ出てきた。あんな経験は初めて」。大会後、W杯で着たジャージーを贈られた。

 「山下ほど堅実でハッタリがない選手はいない」。33歳となった「走れるプロップ」は確実に仕事をこなし、代表争いを勝ち抜く。(田村 龍一)

 ◆山下 裕史(やました・ひろし)1986年1月1日、大阪・四條畷市生まれ。33歳。小、中学時代は野球で捕手、一塁手。都島工でラグビーを始めプロップ一筋(主に右)。京産大から08年に神戸製鋼へ。09年に日本代表初キャップ。15年W杯日本代表。16年、スーパーラグビー(SR)のチーフスへ期限付き移籍。神戸製鋼では環境防災部の社員選手で昨季トップリーグVに貢献。今季SRはサンウルブズで12戦出場。183センチ、122キロ。家族は妻と1男1女。愛称「やんぶー」。

スポーツ

報知ブログ(最新更新分)

一覧へ
NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請