寿美花代「好きで好きで」高島さんに猛アタック けんか「一度もない」…高島忠夫さんを悼む

最後までおしどり夫婦だった高島忠夫さんと寿美花代(1962年撮影)
最後までおしどり夫婦だった高島忠夫さんと寿美花代(1962年撮影)

 映画やドラマ、テレビ番組の司会などで活躍した俳優の高島忠夫(たかしま・ただお、本名・高嶋忠夫)さんが26日午後1時1分、老衰のため、都内の自宅で亡くなっていたことが28日、分かった。88歳だった。女優で妻の寿美花代(87)の意向で、27日に家族だけで密葬を行った。息子で俳優の高嶋政宏(53)、高嶋政伸(52)兄弟は追悼コメントを発表。お別れ会などの予定はない。

 高島さんのうつ病が一時回復した2004年7月、74歳の誕生日前にインタビューした。話は予定時間をオーバー。闘病については「家族も苦しませた。でも、より本音で話せるようになり、逆に家族の結束が固まった」と前向きだった。

 祖父の代まで大地主。神戸・御影の生家は敷地1600平方メートル(約484坪)に鯉(こい)の泳ぐ池が2つ。門から家に入るまで数分かかるほど。「ここに助産師さんが来て僕が生まれたの。三島由紀夫の『仮面の告白』の冒頭じゃないけれど、生まれた時を覚えている気がしてならないんだ」と独特の感性で話していた。

 63年結婚。寿美の猛烈なアタックで結ばれたのは有名な話。きっかけはテレビ番組での共演だった。高島さんが「今日は何時間眠れるかな」と睡眠時間を数える姿に「きっちりした人」と一目ぼれ。寿美は回想している。「顔もいい。優しくて長身。『素晴らしい。絶対に一緒になりたい』と思って」

 デートも寿美から誘い、質問攻め。当時、宝塚のトップスターとして人気絶頂期。「月給は? 持ち家? ご両親? 好きで好きで。『この人を逃したら私の人生は終わる』と思い込み。退団時は忠夫しか頭になかったね」

 寿美の積極的な姿を「彼女のプロポーズと受け止めました」と高島さん。夫婦げんかは「一度もない」という。「けんかする前に相手の気持ちが分かって怒りが消えるんだ」がその理由だった。寿美は夫の晩年の闘病を「私にいっぱい幸せをくれた。看病は苦でない」と語っていた。

 生家の話から、問わず語りに長く住んでいる自宅の話に及んだ。夫婦にとって最初の子供を失った心の痛みが癒えることはなかった。完全な改築は避け、古い部分を残しながら足し増しする方法だと説明した。「もし戻ってきて迷うといけないから」。ずっと同じ家に住み続ける理由を明かしていた。

 息子2人に「マスコミにはどんなときも丁寧に」と教えたという。高島さんのインタビューは、一度だけだったが、その“教え”はこの時の誠実な受け答えからも、十分過ぎるほど伝わってきた。(内野 小百美)

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