20日(日本時間21日)のNBAドラフトで指名が濃厚なゴンザガ大・八村塁(21)を特集する連載第2回は、富山市立奥田中時代の恩師・坂本穣治コーチ(59)が当時を振り返った。(取材・構成=小林 玲花)
八村がバスケを始めたのは奥田中1年のときだった。小学生の頃は野球を5年間プレー、5年時には100メートル走で全国大会に出場するなど陸上でも才能を見せていたが、中学での部活を決めていなかった。坂本コーチは部のメンバーに「とにかく1回、連れてこい」と八村を勧誘させた。
バスケを辞めさせないために「NBAに行けよ」と言い続けた。「NBA選手になったら、サイン入りの自分の靴が50万円くらいになんねん」と笑わせた。練習ではとにかくNBA選手のマネをさせた。「ロッドマンはクロールのように腕が出てリバウンドを取るんだ」と教え「塁はマイケル・ジョーダンのようにボールを片手でつかめるな」とほめた。
「ラリー・ジョンソンはボールをもらった瞬間に足がリングに向くんだ」と言うと、八村はその通りにやってみた。マジック・ジョンソンのノールックパスを見せ「ノールックって言うけど、前もって(パスする相手を)見ているんだ」と指導した。「塁は(広範囲を見る)間接視野がものすごい広い。パスもうまかった」。理解力の早さと運動能力の高さは当時から頭一つ抜けていた。
中2で全国から約30人が集められたU―14の合宿に参加した。「うまいやつ、いっぱいいたか?」と聞くと「うん、俺は3番目くらいだった」と答えが返ってきた。「それが自信につながって、顔つきまで変わった」。誰よりも早く午前6時30分に体育館に来て、黙々とシュートを打っていた。入学当時は身長170センチで線も細かったが、3年時で188センチに。チームを全国大会準優勝に導き、高校は10校以上から勧誘を受けた。
ゴンザガ大2年のときには「NBAドラフトでどっかに引っかかるかもしれないです。どう思いますか?」と連絡が来た。「よく分からんけど、ゴンザガ大のコーチは残ってほしいって言ってるんやろ。NBA行ってそこが終わりじゃないからな。輝き続けなあかんからな」と返した。恩師の言葉を胸に、その後の1年間でさらなる飛躍を遂げた。