【箱根への道】1区・29秒で転倒負傷も続行「後悔ない」…悪夢から5か月、新井康平リスタート

競技会で力走する新井。左足首にはテーピングを施している(カメラ・宮崎 亮太)
競技会で力走する新井。左足首にはテーピングを施している(カメラ・宮崎 亮太)
今年の箱根1区で転倒しながらも執念でタスキをつなぎ、鶴見中継所に入った新井康平。左足を痛め、顔を激しくゆがめた
今年の箱根1区で転倒しながらも執念でタスキをつなぎ、鶴見中継所に入った新井康平。左足を痛め、顔を激しくゆがめた
レース翌日、新井康平の左足はパンパンに腫れ上がった(本人のツイッターから)
レース翌日、新井康平の左足はパンパンに腫れ上がった(本人のツイッターから)
腫れが癒えた現在の新井康平の両足首(カメラ・宮崎 亮太)
腫れが癒えた現在の新井康平の両足首(カメラ・宮崎 亮太)

 今年1月2日の箱根駅伝1区(21・3キロ)でスタート直後に左足首をひねって転倒しながらも、執念でタスキをつないだ新井康平(22)=当時・大東大4年、現サンベルクス=がアクシデントを乗り越えて再び走り出した。新春の悪夢から、ちょうど5か月。6月2日に横浜市で行われた日体大長距離競技会5000メートルでレース復帰。スポーツ報知のインタビューに応じ、当時の心境と復活にかける思いを明かした。

 平成最後の箱根駅伝。新井は大東大のエース格として3度目の1区に挑んだ。

 「調子は良くて手応えを感じていました。4年生だし、3度目の1区なので、チームのために区間上位で走るつもりでした」

 だが…。号砲が鳴って、わずか29秒後に悲劇は起きた。新井は左足首をひねって転倒。1区21・3キロ、10区間217・1キロの長丁場で、新井と大東大は、わずか200メートル手前で大ピンチに陥った。すぐに立ち上がって再び走り出したが、目の前には絶望的になるほど長い21キロが待っていた。約7キロまで辛うじて先頭集団に食らいついたが、その後、大幅にペースダウンした。

 「左足首は転倒した時から痛くて、その後、どんどん痛くなっていきました」

 後方の運営管理車から見守っていた大東大の奈良修監督(48)は何度も新井の意思を確認したが、本人は続行を選択した。区間賞を獲得した東洋大の西山和弥から遅れること8分40秒。最下位ながらも、ライトグリーンのタスキをつないだ。なぜ走り続けたのか。

 「単純に、まだ走れると思ったから。痛かったけど、進めるだけ進もう、と。当たり前のことです」

 節目となる50回目の出場だった大東大は、箱根駅伝史上、スタートから最も早いアクシデントが響き、19位に終わった。新井の心は、左足首と同じように痛んだ。

 「チームに迷惑をかけて申し訳なかった。サンベルクスで陸上を続けることが決まっていたけど、陸上をやめる、と親に伝えました。まずは故障を治すことだよ、と言われて治療に専念しました。そして走れない時に走りたくなった」

 大切な家族や「私が棄権させるべきだったのかもしれない」と責任を感じた奈良監督、チームメートのために、何より、自分自身のために新井は再び走り始めた。幸い、骨などに異常はなく、3月からサンベルクスに合流し、ジョギングを開始。5月からチーム練習にも一部合流し、20キロ走などもこなせるようになった。箱根路の悪夢から、ちょうど5か月後に日体大長距離競技会5000メートルに出場。サンベルクスの小川博之監督(41)の指示を受けて3000メートルでレースを終えた。タイムは8分59秒。本来の力は戻っていない。

 「左足首の痛みはなくなりましたが、違和感は残っています。何か、きっかけをつかみたくてレースに参加しましたが、思ったより走力が追いついていません」

 理想と現実。その差を埋めるため、奮闘をしている。「サッカー経験者のため、体幹が強い。東日本実業団駅伝やニューイヤー駅伝では戦力として期待しています」と小川監督は話す。

 「今は、まだ5%の状態。復活できるか、できないか、この1~2年が勝負だと思っています。自分の力を最大限に発揮できれば、最も得意とする5000メートルで日本のトップレベルになれると自分を信じています」

 レース後、新井の執念の走りに対し「無理せず、棄権するべきだった」など一部で批判の声が上がったが、部外者に新井と奈良監督の決断を責める権利はないはず。新井自身、外野の声を気にしていない。

 「大東大の奈良監督やチームメートには本当に申し訳なく思うけど、走り続けたことに後悔は全くない」

 箱根への道を完走した新井は、これからも自分の信じる道を走り続ける。

 ◆箱根駅伝でアクシデントを乗り越えタスキをつないだ主な例

 ▽1954年大会 首位でタスキを受けた早大10区の昼田哲士は終盤にペースダウン。ほぼ無意識のまま走り続け、優勝のゴールテープを切ると同時に倒れた。

 ▽91年大会 早大2区の櫛部静二は首位でタスキを受けた後、快調に飛ばしていたが、20キロ過ぎに大失速。13人に抜かれ、14位に後退。大会最多(当時)の“ごぼう抜かれ”となった。

 ▽2006年大会 順大8区の難波祐樹は首位でタスキを受けたが、終盤に脱水症状に陥り、4位に後退。チームも4位に終わった。

 ▽15年大会 駒大5区の馬場翔大は首位でスタートしたが、青学大の神野大地に抜かれた後、低体温症となり、大ブレーキ。何度も転びながらも往路ゴールにたどり着いた。

 ※故障や低体温症などのため、タスキをつなげなかった途中棄権は過去に15例。

 <取材後記>

 箱根駅伝が終わった翌日、新井は自身のツイッターで「足は全然大丈夫です」というつぶやきとともに、パンパンに腫れている左足の写真をアップした。「多くの人が心配してくれていたので、僕は元気ですよ、と伝える意味で冗談半分でアップしました。思った以上に反響が大きかった」と苦笑いしながら振り返る。

 それから5か月。幸い、左足の腫れはひいた。無理強いするつもりなく私は尋ねた。「あの写真を掲載してもいい?」と。新井は「いいですよ。腫れもなくなったし」とあっさり話し、現在の足も撮影させてくれた。負のイメージがある写真を残すことを嫌うアスリートが多い中で、新井の肝っ玉の大きさを感じた。

 浦和実の猪腰義文監督、大東大の奈良監督、サンベルクスの小川監督。新井の歴代の指導者は「個性的で面白い選手。潜在能力は未知数」と口をそろえる。近い将来、今年の箱根駅伝以上にインパクトがある快走を期待したい。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

 ◆新井 康平(あらい・こうへい)1996年8月30日、埼玉・上尾市生まれ。22歳。浦和実高3年時に全国高校総体1500メートル6位。2015年、大東大スポーツ健康科学部に入学。箱根駅伝は1年1区19位、3年1区14位、4年1区22位。今春、卒業後し、サンベルクスに入社した。自己ベストは5000メートル13分56秒52、1万メートル28分50秒10、ハーフマラソン1時間3分46秒。172センチ、52キロ。

競技会で力走する新井。左足首にはテーピングを施している(カメラ・宮崎 亮太)
今年の箱根1区で転倒しながらも執念でタスキをつなぎ、鶴見中継所に入った新井康平。左足を痛め、顔を激しくゆがめた
レース翌日、新井康平の左足はパンパンに腫れ上がった(本人のツイッターから)
腫れが癒えた現在の新井康平の両足首(カメラ・宮崎 亮太)
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