ついに離婚成立のビートたけしは決して強い男ではない…母性への強い依存と死への思い

39年間連れ添った妻・幹子さんとの離婚が明らかになったビートたけし
39年間連れ添った妻・幹子さんとの離婚が明らかになったビートたけし
「たけし泣き崩れる」の見出しで母・さきさんの通夜の様子を報じた99年8月25日の「スポーツ報知」芸能面。北野監督にマイクを向ける武藤まき子さんも16年に亡くなった
「たけし泣き崩れる」の見出しで母・さきさんの通夜の様子を報じた99年8月25日の「スポーツ報知」芸能面。北野監督にマイクを向ける武藤まき子さんも16年に亡くなった

 ビートたけし(72)が39年間連れ添った妻・幹子さん(68)と協議離婚していたことが分かった。

 1980年に結婚(婚姻届提出は83年)。別居期間も長かったが強気の性格でそのタレント活動を支え、1男1女を立派に育て上げた幹子さん。86年12月のフライデー襲撃事件での逮捕、生死の境をさまよった94年8月の原付バイク事故など、数々の試練を乗り越えてきたパートナーとの覚悟の別れだった。

 すでに7年前に知り合った18歳年下の女性パートナー・Aさんと都内の自宅で同居。マネジメントも全面的に任せているという。超大物タレント・ビートたけしとしてより映画監督・北野武として、その背中を追いかけてきた私にとって「世界のキタノ」が、どれほど女性、特に母性を強く求めているか―。それを強烈に実感させられたのが、19年前の雷雨の夜のことだった。

 当時、映画担当だった私は97年9月、「HANA―BI」で第54回ベネチア映画祭の最高賞・レオーネドール(金獅子賞)に輝くなど、映画監督として世界のトップを走り始めた北野監督に番記者として密着。トップタレントと映画監督という二つの顔を持つ多忙な大物の行くところ、どこにでも顔を出す毎日だった。

 そして、99年8月24日の午後7時半、私は喪服に身を包んだたけしの左隣にいた。最愛の母・さきさん(享年95)の通夜が東京・葛飾区の蓮昌寺で営まれた。通夜終了後、憔悴し切った様子のたけしは降り続く雷雨の中、テントの下で待ちかまえた取材陣の質問に答えたのだった。

 「本当にたけしさんのことだけを考えて生きてくれたお母さんでしたよね?」―。そう質問したのは、16年に死去した芸能リポーター・武藤まき子さんだった。「泣かせのまき子」と言われた武藤さんの言葉に、それまで淡々と答えていた、たけしは「俺の見ていた母親はいつも働いていて、いつも泣いていた親だったからさ…。感謝してる…」。そう絞り出したとたん、「うう~…」と泣き出すと、降り続く雨でぐちゃぐちゃの地面にガックリとヒザをつきそうになった。

 右隣にいた他紙の記者が、すっと手を出し、本当に自然な動きで、その肩を支えた。私も手を差し出そうとしたが、たけしへの敬愛の念が強すぎたのか、一瞬、その体に直接、触れることがためらわれた。わずか数センチの距離にいながら、崩れ落ちる、その体を見つめることしかできなかったことを鮮明に覚えている。

 衆人環視の中での50歳(当時)の男の号泣劇。そう、「俺は世界一のマザコンだからよ」と常々、口にしてきた通りの母への思いがあふれた一幕だった。

 その人生のトピックの瞬間には常に女性の存在があった。「フライデー襲撃事件」を起こした原因は、当時交際していた21歳の女性への同誌記者の強引な取材だった。自身の監督作品への酷評に悩み抜いた末の自殺未遂という見方も根強いバイク事故もそうだ。真夜中にバイクを飛ばした先は当時、交際していた女性タレントの自宅だったという見方が有力だ。

 昨年3月、映画監督とプロデューサーとしてもベストの関係だったオフィス北野・森昌行前社長(66)とたもとを分かつ形となった事務所独立騒動の背景にも金銭問題以上にAさんの存在があったのは間違いない。自称「世界一のマザコン」の人生は常に、さきさんの代わりになるような女性を求め、癒やしとし続けるもののように私には見える。

 そして、もう一つ。独特の死への思いもそこにはある。15年にAさんとともに設立した事務所「T.Nゴン」に主軸を移すためにオフィス北野からの独立を決めたのが昨年3月。その直前の2月21日に93年の「ソナチネ」から始まり、17年の「アウトレイジ 最終章」まで全10作品でコンビを組んだ盟友・大杉漣さんが急性心不全のため、66歳で急死している。

 大杉さんの死の直後に生出演したテレビ番組で、たけしはこう言った。「すごい不謹慎だけれど、一番いい時に死んだんじゃないかなと思うんだよね。(売れなくなっての)芸人の末路は嫌だなと思うし、一番、輝いて忙しくていい時に漣さん、いい思い出でいたって感じがして。それを言っちゃうと怒られるんだけれど。自分のことを考えれば…。うらやましいって言っちゃえば失礼だけれど、良かったねって言っちゃうね」。死の直前まで出演ドラマ「バイプレイヤーズ」を撮影していた大杉さんの“現役バリバリ”での急死を独特の表現で悼んでいた。

 「俺は映画で成功してもお笑いは一生、絶対にやめない。笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」―。そんな言葉を聞いたのは、97年9月6日の深夜、「HANA―BI」のレオーネドール受賞直後のベネチアの中華料理店でのことだった。日本人として39年ぶり3人目のグランプリ監督となった「世界のキタノ」が受賞パーティーの行われたベネチア・リド島唯一の中華料理店に密着取材をしていた私を招いてくれたのだった。

 テーブルの正面に座った、たけしが、しこたまワインを口にした後、ポツリとつぶやいたのが「笑いとシリアスは最大のテーマ、生と死ということでもあるんだよ」という言葉だった。

 その時、この人は常に「メメント・モリ(ラテン語で『死を想え』)」という言葉を意識的に胸に刻んでいると思った。たけし語録の中でも有名な「振り子の理論」がある。すなわち、映画監督・北野武とお笑いタレント・ビートたけしは笑いとシリアスの両極端を振り子のように連れ動く存在、両方に振り切れながらも絶妙にバランスを取っているというものだが、「生の喜び」の裏には常に「死の恐怖」が隣り合わせに存在しているという意識の裏返しでもある。

 実際、多くの北野作品で、たけし演じる主人公は自死を選ぶ。「ソナチネ」では自分たちを利用したヤクザ組織の大物たちを皆殺しにした上で拳銃自殺、「HANA―BI」では対立組織を根絶やしにした末に、ともに逃避行した不治の病の妻を撃った上で心中自殺。「BROTHER」では、追い詰められた末に取り囲んだ無数の敵の前にたった1人で飛び出し、無数の銃弾を浴びるという事実上の自殺を遂げている。大杉さんとの最後の仕事となった「アウトレイジ 最終章」のラストシーンも、また…。

 数多くの作品のラストシーンに格好悪く生き延びるくらいなら潔い死を選ぶという独自の死生観が描かれているのは事実だ。そんな死生観を持つ72歳の大物タレントが39年間連れ添った糟糠の妻と別れてまで、100億円とも言われる巨額の財産分与をして裸一貫になってまで選んだのが、最後に愛した女性との「自分らしく生きる」余生なのか。自由奔放な、その生き方を決してかっこいいものとは思わない。それでも「やっぱり、たけしさんらしい」と心の底から納得する自分もいる。(記者コラム・中村 健吾)

39年間連れ添った妻・幹子さんとの離婚が明らかになったビートたけし
「たけし泣き崩れる」の見出しで母・さきさんの通夜の様子を報じた99年8月25日の「スポーツ報知」芸能面。北野監督にマイクを向ける武藤まき子さんも16年に亡くなった
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