猪木との死闘 “熊殺し”ウィリー・ウィリアムスさん、死去

再び猪木(左)と戦うことになったウィリアムスさん(96年12月)
再び猪木(左)と戦うことになったウィリアムスさん(96年12月)

 “熊殺し”の異名で知られた空手家のウィリー・ウィリアムスさんが9日に死去したことが10日、分かった。67歳だった。死因は不明。関係者によれば米国の自宅で亡くなった。心臓疾患があったという。76年公開の映画「地上最強のカラテPART2」では熊との戦いを演じ“熊殺し”の異名がつけられ、80年のアントニオ猪木との死闘などで強烈な印象を残した。

 日本の格闘技史に名をはせたウィリアムスさんが、波乱万丈の生涯に幕を閉じた。196センチ、100キロの規格外の肉体に空手着をまとい、長いドレッドヘアを乱しながら、さまざまな格闘家と死闘を演じてきたが、最後は心臓の病に倒れた。

 極真会館の米国コネティカット支部で園児を送迎するバスの運転手をしながら空手を学んだ。1975年の第1回「全世界空手道選手権」で空手家・大山茂氏の目に留まり、手塩にかけて育てられた。「地上最強の―」では巨大グリズリーを相手に衝撃的な組手を披露。“熊殺し”と呼ばれ一躍、有名になった。

 「第1回オープントーナメント全日本空手道選手権」(69年)王者の山崎照朝さん(71)は「サーカスから連れてきた熊をウィリーが支えて組手をするという演出。それでも2メートルを超える200キロ近い大きな動物を支えたのだから、すごい選手だった」と当時の舞台裏を明かした。

 80年2月には蔵前国技館で猪木と異種格闘技戦で対戦したが、結果はドクターストップによる引き分けだった。山崎氏は「猪木戦では蹴りが印象的だが、彼の本当の良さは正拳突き。日本選手みんな胸やあばらの骨を折られて、ケタ違いのパワーだった」と評した。

 84年に極真会館を離脱し、大山氏が設立したUSA大山空手に移籍した後、空手は引退。92年に前田日明主宰の「リングス」に参戦し、同7月には前田に敗れ、97年1月の猪木との再戦ではコブラツイストで完敗。99年にはプロレス団体FMWのリングにも上がった。

 晩年は木彫り職人をしながら後進の指導を行っていたという。山崎氏は「彼は空手を日本、世界に広めてくれた貢献者です。冥福を祈りたい」と語った。

 アントニオ猪木氏「ウィリー選手との戦いは、新日本プロレスとカラテの、互いの誇りをかけて臨んだ熱い戦いでした。今でもあの殺気あふれる蔵前国技館のリングを思い出します。戦いを離れ、ゆっくりと休んでほしいと思います。さようなら、ありがとう、ウィリー・ウィリアムス」

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