“過激な仕掛け人”新間寿氏、67歳で亡くなったウィリー・ウイリアムス氏を追悼…猪木との死闘の裏側に「極真の中で意地の張り合いのような状況が生まれていた」

猪木対ウィリー戦(1980年2月27日、蔵前国技館)
猪木対ウィリー戦(1980年2月27日、蔵前国技館)

 日本人のフロントとして初のWWE殿堂入りを果たしたリアルジャパンプロレスの新間寿会長が10日、“熊殺し”の異名で知られ9日に67歳で亡くなった空手家のウィリー・ウイリアムス氏を追悼した。

 ウイリアムス氏は、米国ノースカロライナ州出身。空手の極真会館コネティカット支部に入門し、梶原一騎氏が製作した映画「地上最強のカラテPART2」で巨大なグリズリーとの闘いを披露し、“熊殺し”の異名で一躍注目された。

 1979年に極真世界大会で3位入賞。また、80年2月27日に蔵前国技館で新日本プロレスに参戦しアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で対戦。結果はドクターストップによる引き分けに終わったが、鮮烈な印象を残した。

 新間氏は、当時、新日本プロレスの営業本部長として猪木対ウィリーの試合をプロモートした。39年前の殺伐とした激闘に「あのリング内は今、思い出しても凄い殺気でした。猪木さんも、ウィリーも本当に凄い格闘家でした」と振り返った。

 一方で試合の実現までにはウィリーが所属していた極真空手との交渉が難航。試合時には極真の空手家がリングサイドに大挙、押し寄せリング外では新日本の選手と乱闘が展開される事態となった。それだけに新間氏は「リング外で極真の選手が大騒ぎをして、2人にキチっとした戦いの場を用意することができなかったのは今でも無念です」と明かした。その裏側には「極真の中でもウィリーを猪木さんと戦わせるべきというグループと戦わせるべきではないというグループに分かれて、極真の中で意地の張り合いのような状況が生まれていたんです」と振り返った。

 今も複雑な心境がよみがえる「猪木対ウィリー」だが、新間氏は「ウィリーは猪木さんと戦ったことで今でも名前が残る格闘家になったと思う。それだけに、あの後にいい形でサポートしていれば猪木さん以上に成果を残すことができた本当にいい選手になったと思う」と話す。それでも新間氏は、リング外での混乱を背負いながらも猪木とクリーンに戦ったウィリー氏を「本当に尊敬するし、凄まじい気迫を持った格闘家でした。猪木さんの試合の中でもあの試合は、アリ戦に匹敵する名勝負だったと思います」と追悼していた。

 

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