丸山桂里奈、なでしこ評論家デビューでぶっちゃけトーク…もしも私が監督だったら

なでしこジャパンにエールを送った丸山桂里奈(カメラ・竜田 卓)
なでしこジャパンにエールを送った丸山桂里奈(カメラ・竜田 卓)

 サッカー女子W杯フランス大会が7日(日本時間8日)に開幕した。2011年W杯ドイツ大会で初優勝を成し遂げた元なでしこジャパンFWの丸山桂里奈(36)がスポーツ報知で評論家デビュー。国民栄誉賞を授与されたレジェンド選手は、今やタレントとして大ブレイク。ぶっちゃけトークを交えながら、2大会ぶりVを目指す高倉ジャパンにエールを送った。(構成・岡島 智哉)

 11年大会の準々決勝・ドイツ戦(※1)は、今でもよく思い出します。佐々木則夫監督(当時)から、「決めるのはお前しかいない。歴史を変えてこい」と言われてピッチに入りました。ノリさん、かっこよくないですか? 私、あの場面だけはかっこよかったと思うんですよ。あっ、もちろんそこだけじゃないですけど(笑い)。期待に応えたいし、自分が決めて勝ちたいという気持ちでした。

 試合後、「これは優勝いけるぞ」と思いました。一度も勝ったことがない相手に勝った。ここで優勝しなかったらいつするんだって思いました。

 澤(穂希)さんや宮間(あや)は、サブの子たちにも積極的に声をかけていた。みんなで戦ってこその、なでしこジャパンだから。宮間が言ったんです。「普段は家族だったり、大切な人のことを思って戦うかもしれない。でもこのピッチに立った時は、他のなでしこメンバーのことを思って戦おう」って。(決勝の)アメリカ戦の前だったかな。しびれますよね~(笑い)。

 私たちは、1次リーグ第3戦のイングランド戦(※2)で負けました。試合後、監督に言われなくても、ポジションごとに個別に話をして、その後全体で課題を整理した。負けたからダメではなくて、今負けてよかったんじゃないかって。みんな前向きになれました。課題を克服する対応力がありましたね。

 先日、W杯の壮行会で今大会のなでしこメンバーと会ってきました。みんなが一つの輪の中にいる気がしました。普通、女子って(メンバーが)固まるんですよ。でも上の選手と下の選手が一緒に話したり、和気あいあいとしていた。「和」があるなと思いました。いい環境、いいチームになっているという期待が持てました。

 高倉(麻子)監督とは、現役時代になでしこリーグで対戦したことがあります。当時から存在感がありましたね~。監督になった今も変わらない印象です。私は、うまく世代交代ができたと思っています。今までは代表メンバーがとにかく変わらなかったですから。思い切りがある方だと思います。

 期待する選手は、キャプテンの熊谷(紗希)。岩渕(真奈)もそうですが、11年大会時からすでにしっかりしていましたから。すごく落ち着いていて。私の方が年上なのにグダグダしていたような…。あとは阪口(夢穂)。今はけがをしているけど、いるだけでみんなが頑張れる存在。仲も良いのでリハビリのしんどさも頑張りも知っている。ピッチに立ってほしいですね。

 もしも「丸山桂里奈監督」だったら…。この前のスペイン戦(※3)を全部見たんです。残念ながら引き分けでしたね。監督の戦術は試合前に決まっているけど、ピッチに立つのは選手。うまくいかなかった時に、ピッチ内で選手が修正しないと。そこが一番大事。大舞台なので、焦りでうまくいかなくなる選手が絶対に出てくる。そういう時に味方同士でフォローしないと。11年大会では、ピッチ内でも外でも、ちょっとミスが起きるとすぐに話し合って、同じミスを繰り返すことを防いでいました。いろんなプレッシャーもあると思いますが、ぶれずに自分たちのプレーをしてほしい。ピッチの中で自分たちで修正できたら、優勝を目指せる。私はすごく楽しみにしていますよ!(元なでしこジャパンFW)

 ※1 0―0の延長後半3分、スーパーサブとして投入された丸山が澤のスルーパスからゴールを沈めて1―0で勝利。大会3連覇を狙う過去8戦勝ちなしのV候補から金星を挙げた。

 ※2 すでに8強入りを決めていたが、ドイツとの対戦を避けるため主力を起用。しかし0―2で完敗した。

 ※3 2日にフランスでW杯開幕前最後の親善試合を行い、FIFAランク13位のスペインと1―1でドロー。

 ◆丸山 桂里奈(まるやま・かりな)1983年3月26日、東京・大田区生まれ。36歳。ホリプロ所属。日体大から2005年に東京電力マリーゼ入団。10年にフィラデルフィア・インディペンデンス(米WPS)に移籍し、同年9月から千葉。12年に大阪高槻へ。16年限りで現役を引退し、タレントに転身。身長162センチ。血液型O。

 ◆代表14ゴール19歳デビュー

 丸山は19歳だった2002年10月になでしこジャパンデビュー。03年アメリカW杯、04年アテネ五輪、08年北京五輪、11年ドイツW杯、12年ロンドン五輪などの国際大会に選出された。

 11年W杯ではスーパーサブとして活躍し、準々決勝・ドイツ戦(1○0)の延長後半3分に劇的な決勝点を挙げるなど初優勝に大きく貢献した。同年、「なでしこジャパン」として団体で初、スポーツ界では6例目となる国民栄誉賞を受賞した。

 なでしこリーグでは千葉や高槻などでプレーし、16年限りで現役を引退。代表通算79試合出場は歴代19位タイ、途中出場が中心ながら同22位タイの14ゴールを挙げた。

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