【桜の軌跡】悲願1勝 宿沢監督への感謝「皆をその気にさせてくれた」…吉田義人氏が語る

W杯の思い出を語る吉田義人氏
W杯の思い出を語る吉田義人氏

 日本代表のW杯の戦いを振り返る連載の第3回は、宿沢広朗監督が率いた91年第2回大会。ウィング吉田義人氏(50)が、日本のW杯初勝利となったジンバブエ戦の感動を思い返した。(取材・構成=田村 龍一)

 スコットランド、アイルランドに連敗して1次リーグ敗退が決まった日本だが、同じ2敗のジンバブエ戦へ緊張感は途切れなかった。左ウィングの吉田は「あの試合を宿沢ジャパンの集大成にしたかった」と回顧。前半29分、敵陣ゴール前スクラムからNO8ラトゥとSH堀越がサインプレーを仕掛け、大外でボールを受けた吉田が快足を飛ばしてトライ。吉田は後半15分にも大外でボールをもらうと、鋭いステップで相手防御をかわしてトライを決めた。

 FWが素早い集散でボールを獲得し、バックスにテンポよく供給。最後は走力のある吉田にボールを集める“必勝パターン”を体現。計9トライを挙げ、平尾主将らはW杯初勝利の喜びに浸った。

 宿沢は代表監督初陣の89年5月、秩父宮でスコットランドを28―24と撃破。世界8強の一角に初めて勝ち、吉田らは自信をつけた。第2回大会から行われた予選(90年)ではトンガ、韓国に勝ち、アジア太平洋地区2位でW杯へ。吉田は「予選を戦う中で、みんなに日本代表のプライドが生まれた。宿沢監督はウイスキーのようにチームを熟成させてくれた」と振り返った。

 ジンバブエ戦が行われた北アイルランドのベルファストは当時、宗教対立などによる紛争の最中。市民はテロにおびえていた。迷彩服の兵士が銃を持って会場近くを警備していたが、ノーサイドの瞬間は笑顔の子供たちがピッチへなだれ込んできた。「(小柄で速い)日本代表のスピード感に興奮したんだと思う。そんなラグビーをあまり見たことがなかったのでは」。吉田らをもみくちゃにした光景は、平和そのものだった。

 宿沢は06年に心筋梗塞のため55歳で急逝。吉田は今も感謝を忘れない。「世界で勝つために、日本はこう戦うんだと示してくれた。皆をその気にさせてくれた」。だが日本のW杯2勝目は、それから24年後の15年大会・南アフリカ戦。第3回大会にも出場した吉田は、日本ラグビー史上最大の屈辱を味わった。(敬称略)

 ◆吉田 義人(よしだ・よしひと)1969年2月16日、秋田・男鹿市生まれ。50歳。秋田工1年時に花園優勝。明大に進み19歳で日本代表初選出。4年時に主将で全国大学選手権優勝。卒業後は伊勢丹入り。世界選抜選出3度。2000年に仏1部コロミエへ入団し01年、三洋電機へ。03年にサニックスへ入団し04年で引退。91、95年W杯出場など日本代表キャップ30。横河電機ヘッドコーチを経て09~12年、明大監督。167センチ、67キロ(現役時)。現在は日本スポーツ教育アカデミー理事長、7人制チーム「サムライセブン」監督。

 ◆第2回W杯(1991年10月3日~11月2日、欧州5か国共同開催)

 ◇日本代表の戦績

 ▽1次リーグ初戦(10月5日・エディンバラ)

 スコットランド 47―9 日本

 ▽第2戦(9日・ダブリン)

 アイルランド 32―16 日本

 ▽第3戦(14日・ベルファスト)

 日本 52―8 ジンバブエ

 ※当時は1トライ4点

 【優勝】オーストラリア【準優勝】イングランド

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