【談志を語る】柳家花緑、「ヘタクソ!」から始まった縁 祖父・小さんと共通する姿勢

柳家花緑
柳家花緑
柳家花緑(中)の真打ち昇進パーティー(左は柳家小さん、右は三遊亭円歌)1994年撮影
柳家花緑(中)の真打ち昇進パーティー(左は柳家小さん、右は三遊亭円歌)1994年撮影
立川談志(2009年2月撮影)
立川談志(2009年2月撮影)

 昭和、平成と時代を駆け抜けた落語家・立川談志は2011年11月21日に喉頭がんのため75歳で亡くなった。落語家初の参院議員を務め、落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫いた。熱狂的なファンを獲得し、多くの落語家に影響を与えた天才だった。ゆかりの人が談志を語る。=敬称略=

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 落語家・柳家花緑(47)にとって談志との関係性は複雑だ。花緑の師匠は祖父の5代目・柳家小さん。談志は小さんの弟子ながら、花緑の入門前の83年、小さんの会長在任時に落語協会を脱会。立川流を創設し家元となり、小さんから破門された。それでも親交があった。

 花緑は小緑を名乗っていた二ツ目時代に立川談春、志らくらとユニット「らくご奇兵隊」として活動したこともあり、立川流の落語家との落語会で共演することが多かった。ある日、「蝦蟇の油」を演じて楽屋に戻ると談志から「ヘタクソ!」と言われた。花緑はとっさに「どうすればいいですか?」と質問した。すると談志は「まず口上がなっていない。本物の口上を聞いたことがあるのか」と語りだし、また「一つ一つこれ以上にない最高のギャグを持ってこい」とアドバイスをした。花緑が後日、談春にその状況を伝えると「聞いたお前がすごいね」と感心された。

 ◆孫!良くなったじゃん!

 懐に飛び込んできたことを評価したのか、たもとを分かつようになったとはいえ師匠の孫だからか、談志は花緑を気に掛けかわいがった。国立演芸場で行われた志らくの真打ちトライアルに出演した際には「孫! 良くなったじゃん」とお褒めの言葉も与えた。

 最後に会ったのは亡くなる11か月前の福岡・博多座での「立川談志・立川生志親子会」だった。近くの場所で独演会を終えた花緑は、その足で駆けつけた。楽屋を訪ねると「おぉ、来たのか」と歓迎してくれた。「会いたかったし、会わない手はないと思いました」。舞台袖で2人の対談を見守っていると、急きょ呼ばれて舞台に上がった。生志から談志へのメッセージをふられると「長生きしてください」。満員の会場がドッと沸いたことを覚えている。

 花緑の記憶に残る談志の原風景がある。目白の小さんの自宅の玄関だ。「談志師匠がウチのお袋とタップのまね事をしながらしゃべっていたことを覚えています。破門の前か後か分かりませんが…。破門になってからも度々来ていたらしいです」。

 花緑から見た小さんと談志の関係はどうだったのだろうか。20代の頃、家に帰り「今日は談志師匠と一緒でした」と仕事の報告をすると、小さんは「談志は元気だったか?」と尋ねてきたという。それでも複雑な間柄でもあった。「ウチの師匠は取材の時に、談志師匠の事を聞かれると『あいつの事はいいんだ』って急に怒り出したりして…。一番いい感じだったのは『いいんですよ。あいつはあいつでやってるんですから』と優しく言っていたことがありました」

 花緑は言う。「一流は一流が好きと言いますけれど、芸人って芸がうまいヤツが好きなんです。ウチの師匠にもそれがあって、40人以上いる弟子の中でも売れている人間には一目を置いた。(一門の中で)もり立てて欲しかっただろうけれど、出て行かれた。それには切なさもあるだろうし、去る者は追わないというけれど、去っていったものに対しての寂しさはあると思う。そこで『寂しい』とは言えないでしょう」と師匠・小さんの胸中をおもんぱかった。

 楽屋などで落語に対する“教え”を受けた談志を花緑はどう見ているのか。「落語に深く向き合っていましたね。名人でありながらそこにあぐらをかかず格闘した」と表現した。そして、小さんから言われたことを思い出した。「ウチの師匠が4代目(小さん)の教えとして『噺はあらゆる角度から見つめろ、これでいいと思った噺は死んでしまう。必ず不備なところがある』と言っていたんです」。5代目は花緑に4代目のエピソードを話してくれたという。4代目が「長屋の花見」であるフレーズを飛ばした。心配して見ていると、さりげなく後半にそのフレーズが入っていた。「(4代目は)『一から十まで同じようにしゃべんなきゃいけないものじゃないんだ』と…。それを談志師匠は実践されたと思うんです」。

 ◆小さんと談志に相通ずるもの…

 談志は噺と向き合い、サゲを変えたり斬新に構成を組み直し、世に訴え続けた。「立川談志は柳家の教えを真摯(しんし)に取り組んだ人だと思うんです。落語を表にしてひっくり返して、横から見て、たたいて煮て焼いて…。切り刻んで色んなことをして…。それでも答えが出ないって…」

 花緑は、2005年、鎌倉芸術館での「立川談志と若手精鋭落語家の会」での出来事を語り出した。桂三木男(現5代目・三木助)が見に来ている中「へっつい幽霊」を演じた談志は途中で言葉につまった。「そうしたら『今日は孫が来ているんでね。(3代目)三木助はこうやったんだ』とか色々やって小咄を入れて…。降りてきて『ああするしかなかった』って言ってました。ダメだったと言って引っ込むのではなく、その日やれる最大を見せて降りてくる」。その姿は今でも強烈に印象に残っている。

 小さんも同じだった。亡くなる10か月前の円朝祭りで「長短」を演じた。「普段はマクラはほとんどふらないのに、脳梗塞の話をして…。言葉も出てこないので即興でやっているんです。演劇のフリーエチュードみたいに」。そしてこう言う。「ウチの師匠は『生涯現役』と言い、談志師匠は『ドキュメント』って言いましたが表現が違うだけで、これは同じことだと。芸人としてお客さんと向き合っていましたね」。老いと向き合い高座でその時のすべてをぶつける2人の生き様に感心している。

 談志から影響も受けた。「言葉は違っているかもしれませんが、言っている意味では、『芸人が集まって、バカをやっている時に、遠巻きに見ているより飛び込めるヤツの方が幸せだと…。芸人は傍観してちゃいけない』ということですね。談志師匠はサメ退治に行ったりしていましたからね。芸人として師匠の姿勢を共感というか学びたいと思います」

 ◆洋服と椅子で落語を演じる

 花緑は現在、「同時代落語」として、着物に座布団ではなく洋服と椅子で演じるスタイルを展開。47都道府県落語として、各地にちなんだ落語を演じている。かつて「東西落語がたり」(旬報社・2003年出版)で談志と対談し、話題が「落語とは何だろう」となったとき、談志は「形式的には着物を着て座ってやっている」と話しながらも、花緑の「変ですかね椅子に座って背広でしゃべるのは?」の問いかけに「基本的にその人間のキャラクターが確立していれば何やっても大丈夫じゃないですか」と答え、ジーンズであぐらをかいて落語を演じたことを明かしている。

 花緑は「(洋服の)このスタイルを見たら(談志は)受け入れてくれると思います。それで『内容はどうなんだ。何が言いたいんだ』と言うと思うんです。形式、スタイルよりも内容だと…。落語はお客さんが想像する芸。着物は何も想像させないし、落語がラジオで成立するといいうことは姿がなくても出来るということなんです」と力説する。だからと言って奇をてらうわけではない。効果音や音楽などを一切使わず、すべて自身で演じることにこだわっている。

 「チャレンジし続ける。談志師匠はそれを見事に見せてくれた。自分も走り続けたい」。花緑の生き方には柳家のスピリッツとともに、そこから離れながらも流れを組む談志から浴びた強烈な影響も色濃く受け継いでいる。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆柳家 花緑(やなぎや・かろく)本名・小林九。1971年8月2日生まれ。47歳。87年3月、中学卒業後、祖父の5代目・柳家小さんに入門し「九太郎」。89年9月、二ツ目昇進し「小緑」。94年3月に戦後最年少の22歳で真打ち昇進し「花緑」を名乗る。出囃子は「お兼ざらし」。兄は元バレエダンサーの小林十市。

【特集・立川談志】
柳家花緑
柳家花緑(中)の真打ち昇進パーティー(左は柳家小さん、右は三遊亭円歌)1994年撮影
立川談志(2009年2月撮影)
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