さまざまな元タカラジェンヌがいる。娘役だった女優・春風ひとみ(58)。先ごろ、9年ぶりに代表作、一人ミュージカル「壁の中の妖精」(作・演出、福田善之)を終えたばかり。
1930年代のスペイン市民戦争後。迫害から逃れるため、自宅壁に潜んで生き続けた男の実話をもとにした重い内容だ。93年初演。今回もスタンディングオベーションが起きていた。春風が超人的なのは主人公、その妻、娘、兵士など1人で23役を演じ分けたこと。
前回、役が変わるときにわずかな「間」があったと記憶する。それが今回、まさに神業の域で一瞬の間もなく、役が変化していた。「次に演じる人にバトンを渡したい」決意を持って久々に演じたが、そう簡単にできる役ではない。“技”のすごさは中国の京劇で、門外不出とされる「変面」のようにも映った。
演劇界に欠かせない名バイプレーヤー。春風には、もうひとつの顔がある。過去に女優・大山のぶ代(85)も教えていた音響芸術専門学校(東京・西新橋)で、副学校長を務めている。華やかな表舞台だけでなく、裏で支えるスタッフ志願で入ってくる若者たち。中には進む方向に迷いを抱えた者もいる。生徒たちに、こう話すという。
「ここにいる2年間に本当に好きなものを見つけ、それを深く深く知ろうとしてほしい。プロになるなら好きなことに情熱を注ぐのは当然のこと。この業界はそんな人でいっぱい。情熱が執念に変わったとき、プロの入口だと思うから」。体験に裏打ちされた言葉だけに説得力がある。
春風自身、どんな巡り合わせで人生が変わるか分からないことを知っている。歌劇団出身だが、初舞台は4歳。ミュージカル「王様と私」(1965年)で、王様役の市川染五郎(現松本白鸚)、教師アンナ役は元宝塚の大スター越路吹雪さんと共演した。幼い女の子は自分が将来、タカラジェンヌになると想像すらできなかった。
そもそも芸能界入りのきっかけは、日活映画「こんにちは赤ちゃん」(1964年)の撮影現場での出来事。吉永小百合、和泉雅子らが出演しているが、実はここに出てくる赤ちゃんは春風の弟。キューピーのようなかわいらしさ。デパートで弟がたまたまスカウトされたという。「その撮影を見ていたら、私もやってみてはどうか? となって。和泉さんが劇団若草におられた縁で私も入ることになったんです」と振り返る。
今年、芸歴55年。「自分で節目の年、というのは何だか照れくさいからあまり言いたくなくて。でも人生どんな出会いがあるか分からない。そういえば、子どものとき長嶋(茂雄)さんとカルピスのCMに出たこともあったのよ」と懐かしむ。
23役こなす離れ業を演じ切ると、休む間もなく次の作品のけいこに入っていた。6月はミュージカル「リューン~風の魔法と滅びの剣~」、8月に舞台「オリエント急行殺人事件」が控える。初舞台から半世紀余り。「やっぱり役者って年月のかかる仕事なんですね。いま改めて思います」芝居の原点に立ち返ったような口調で、しみじみ話すのだった。(記者コラム)