【巨人】上原が引退「直球通用しない」44歳、シーズン中に異例の決断…20日会見へ

ジャイアンツ球場で汗を流した上原。21年間の現役生活に別れを告げ、ユニホームを脱ぐ(カメラ・杉山 彰一)
ジャイアンツ球場で汗を流した上原。21年間の現役生活に別れを告げ、ユニホームを脱ぐ(カメラ・杉山 彰一)
シーズン途中で現役を引退する上原浩治
シーズン途中で現役を引退する上原浩治

 巨人の上原浩治投手(44)がシーズン途中で現役引退することが19日、スポーツ報知の取材で分かった。今季、一度も1軍昇格を果たしていない球界最年長右腕。実力の限界を感じ、今月に入って球団側に引退の意思を伝えた。日米で活躍した功労者を球団側は慰留したが、「自分の代わりに若手にチャンスを与えてほしい」との本人の意向を尊重し、了承した。20日にも、都内で引退会見が開かれる。

 44歳の球界最年長投手が、プロ21年目のシーズン途中でユニホームを脱ぐことになった。上原は1軍昇格に向けてファームで調整を続けてきたが、自らの実力の限界を感じ、引退を決意した。

 最後のマウンドとなったのは、今月3日にジャイアンツ球場で行われたイースタン・リーグのロッテ戦。試合後に「ストレートを簡単に持っていかれました」と香月に浴びた一発を苦笑いで振り返っていた。

 この日まで2軍で9試合に登板し、いずれも1イニングのみのマウンド。3者凡退で抑えた試合は3試合しかなく、2本塁打を含む11安打を許して、4失点、防御率は4・00だった。

 上原はこの登板後の今月中旬に、球団に引退の意思を伝えたもよう。球団はシーズンを全うすることを提案したが、最後はベテランの希望に添う形で了承したようだ。

 「やっぱり1軍に上がっている選手は、ちゃんと2軍で抑えている。抑えてないオレにチャンスがあるワケない」。そう口にする日があった。さらに、「野球が進化してる。高卒の選手が150キロ超えをポンポン投げてる。そりゃ、140キロ出ないオレは通用しないよ」とも話していた。

 球速は140キロ出なくても、球のスピンの多さで、対戦打者にはスピードガン以上の速さを感じさせていた。だが、その直球の威力を自ら否定するようになり、伝家の宝刀・フォークを生かすことも難しくなった。

 昨季、巨人に電撃復帰。契約締結の遅延からキャンプ不参加で開幕を迎え、シーズン途中からは左膝痛に苦しんだ。「膝を治せば、まだやれる自信がある。キャンプから調整してシーズンに臨みたい」と、10月に左膝手術に踏み切り、いったんは自由契約に。それでも12月に再契約となった。

 再び手にしたチャンス。背番号も19に戻った今季、まだ必死にもがいて1軍を目指す選択もあった。だが「一年一年じゃない。一日一日が勝負」と話していた上原に迷いはなかった。

 「ファームでオレが1イニング投げれば、その分、若手の投げる機会が減る。時が来たと思ったら、スパッと身を引かないと。それが後輩のため、チームのためだと思うから」。日頃から口にしていた、引き際のタイミングが来た。

 日本で沢村賞に2度輝き、大リーグではワールドシリーズ制覇のクローザーに君臨、そして昨季、日本人としては初、世界で2人目となる日米通算100勝100セーブ100ホールドの「トリプル100」を達成した右腕。日米でその名をとどろかせたレジェンドが、静かにボールを置く。

 ◆岩隈と最後の練習!?

 上原はこの日、ジャイアンツ球場で1、2軍の残留組、3軍リハビリ組と共に、通常通りの練習メニューをこなした。午前9時半から始まった練習では、いつもと変わりなくウォーミングアップをこなし、キャッチボール。自ら「やろうか」と誘って岩隈相手に前日から2日連続で行った。

 ◆上原 浩治(うえはら・こうじ)1975年4月3日、大阪・寝屋川市生まれ。44歳。東海大仰星高から1浪して大体大進学。98年のドラフト1位で巨人入団。99年に20勝を挙げて新人王。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞を各2度受賞。09年にFAでオリオールズへ。その後レンジャーズ、Rソックス、カブスでプレー。13年、Rソックスでワールドシリーズ制覇。187センチ、87キロ。右投右打。

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