【談志を語る】桂三木助、感じた落語への深い愛情「お前のじいちゃんの恩を返してやる…」

桂三木助
桂三木助
2018年、三木男改め5代目桂三木助襲名披露公演では、立川志の輔(中央)、立川生志(左)が口上に並んだ(右は三木助)
2018年、三木男改め5代目桂三木助襲名披露公演では、立川志の輔(中央)、立川生志(左)が口上に並んだ(右は三木助)
談志さんの遺影を持つ長女・松岡ゆみこ(左)と立川志らく(2012年5月撮影)
談志さんの遺影を持つ長女・松岡ゆみこ(左)と立川志らく(2012年5月撮影)

 昭和、平成と時代を駆け抜けた落語家・立川談志は2011年11月21日に喉頭がんのため75歳で亡くなった。落語家初の参院議員を務め、落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫いた。熱狂的なファンを獲得し、多くの落語家に影響を与えた天才だった。ゆかりの人が談志を語る。=敬称略=

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 落語家・桂三木助(34)は談志から多くの噺を教わった。「浮世根問」「三人旅」「ぞろぞろ」「つるつる」「五貫裁き」「黄金餅」…。一門でもない弟子にこんなに多く稽古をつけるのも珍しい。

 ◆「孫!」と呼ばれて

 三木助は入門直後に兄弟子から「にっかん飛切落語会」の前座を引き継ぎ、談志に出会った。2003年12月だった。楽屋の談志の元にはひっきりなしに来訪客が訪れ会話がとぎれることはなかった。「ずっと話されているので、ごあいさつできなかった。前座身分で話しているのを遮ってあいさつできませんから」。戸惑いながら仕事をしていると談笑する合間を縫って立川談春が談志に言った。「これ、三木助の孫です」。存在を認識した談志は帰り際に「ご家族によろしく」と声を掛けてくれた。

 所属団体が違うこともあり、次に会ったのは翌年だった。再び談春が「三木助の孫です」と談志に話すと、談志は「稽古してやろうか」と三木助に話しかけた。雲の上の存在から言われた一言に逡巡(しゅんじゅん)していると終演後、談春が言った。「お前、あの話、ちゃんとしとけよ。稽古の話だよ」。意を決して連絡し、後日、談志の自宅を訪れ稽古を付けてもらった。「浮世根問」だった。

 三木助は言う。「談志師匠は『お前のじいちゃん(3代目・三木助)に稽古をしてもらったことがオレはある。その恩をお前に返してやる』と言っていましたね」。3代目・三木助は稽古を付けないことで有名だった。さらにこうも言われた。「オレは二ツ目時分に、『あいつは生意気だ』と煙たがられた。悪口も言われた。そんな時にお前のじいちゃんは話に参加せずに良いも悪いも言わない。それに『あれだけうまければしょうがねえ』と助け舟を出してくれたんだよ」

 必死に覚えて談志の前でさらうと「悪くねえな」と一言。度々「稽古に来い」と連絡をもらい、「オレの会に勉強に来い」とも言われ、多くの噺を習った。三木助が金原亭駒春を名乗っていた前座時代には「孫!」と呼ばれていたが、二ツ目になり三木男を名乗ると呼び方も変わった。独演会を行うことを勧められ初回のゲストとして出演もしてくれた。

 ◆“筆談”で知った落語への執念

 談志が亡くなった2011年。3月に気管切開をして声を失ったいたことを三木助が知ったのは7月だった。お中元のあいさつのため訪問したところ、何度か会えなかった。この世界では事前にアポイントを取ることなく訪問し不在なら再訪するのが習わしだ。数回の“空振り”を経て訪問すると、夫人から「喉に穴を空けてしゃべれなくなったの。誰にも言わないでくれる?」と言われ談志との対面が許された。長女の松岡ゆみこを通じて筆談した。「落語をまたやりたい?」のゆみこの問いに談志は「やりたい」と“答えた”。その光景を三木助は今でもはっきりと覚えている。

 談志は11月21日に亡くなり、23日に公表された。その日、三木助は独演会でゲストに立川志の輔を招いていた。コメントを求めるマスコミが集結した。翌日以降も「談志の死」がテレビなどで大きく報じられ続けた。三木助は「すごい人だとは知っていましたけれど、全盛期は知らなかった。あそこまで大々的に報じられるとは思わなかったです」。改めて談志の偉大さを実感するとともに、以前、談春が言っていたフレーズが頭の中を駆けめぐっていた。「俺らが思っている以上に談志というのは大きな存在らしい」

 亡くなる前年の12月30日に自宅を訪問すると、「芝浜」の稽古を付けてくれた。祖父の3代目・三木助も「芝浜」で有名となったが、談志はまた違う手法で「芝浜」をウリにした。思い出の稽古となった。

 ◆睡眠薬とビールを飲みながらの稽古

 17年9月に真打ち昇進を機に5代目・三木助を襲名した。襲名披露公演では談志直伝の「五貫裁き」を演じた。「志の輔師匠の『五貫裁き』を聞いて、オチを聞いてこれは談志師匠が考えたんだなって。それでお願いしました」。数多くのネタを教わった中で、自分から演目を申し出て教わった唯一のネタだった。「睡眠薬とビールを飲みながら稽古を付けてもらいました」。

 かわいがってくれた人はもういないが、三木助の心の中には談志がいる。談志のお別れの会で使われた遺影は、三木助の会にゲスト出演した時の、ほほ笑む談志の笑顔だった。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆桂 三木助(かつら・みきすけ)本名・小林康浩。1984年3月19日、東京生まれ。34歳。国士舘高から国士舘大に進み、2003年、中退して金原亭馬生に入門し「金原亭駒春」を名乗る。06年11月に二ツ目に昇進し祖父も名乗った「三木男」を名乗る。17年9月下席から5代目・桂三木助を襲名して真打ち昇進。

【特集・立川談志】
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2018年、三木男改め5代目桂三木助襲名披露公演では、立川志の輔(中央)、立川生志(左)が口上に並んだ(右は三木助)
談志さんの遺影を持つ長女・松岡ゆみこ(左)と立川志らく(2012年5月撮影)
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