【談志を語る】三遊亭円楽、師匠の葬儀直後に思い出を語り合った大切な夜

三遊亭円楽
三遊亭円楽
2010年3月、楽太郎改め6代目三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席した立川談志(左、右は6代目・円楽)
2010年3月、楽太郎改め6代目三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席した立川談志(左、右は6代目・円楽)
落語家の立川談志(左)が、楽太郎改め六代目・三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席(右は三遊亭好楽)
落語家の立川談志(左)が、楽太郎改め六代目・三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席(右は三遊亭好楽)

 昭和、平成と時代を駆け抜けた落語家・立川談志は2011年11月21日に喉頭がんのため75歳で亡くなった。落語家初の参院議員を務め、落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫いた。熱狂的なファンを獲得し、多くの落語家に影響を与えた天才だった。ゆかりの人が談志を語る。=敬称略=

  *  *  *

 落語家・三遊亭円楽(69)は立川談志の弟子でもあった!? 談志は落語協会を脱退し落語立川流を設立した。ビートたけし、高田文夫、上岡龍太郎らが、有名人のBコースに入門して立川を名乗った。楽太郎時代の円楽もその一人だった。

 ◆立川流にも名を連ねていた

 「2万円払ったら入れてくれるんですか?」「入れるよ」「入れてください」。楽屋でやりとりした。

 「何でだ?」談志から理由を問われると「一人二人会をやりたいんです。三遊亭楽太郎できれいな着物を着て丁寧に落語をやるんです。立川なにがしで、きたねえ着物を着てヘタクソにやるんです」と答えた。

 談志は苦笑いで「立川の名前を地に落とすなバカ野郎」と毒づいたが、後日、直筆のはがきが届いた。「三遊亭楽太郎こと立川談次郎 どうだ、いいだろう」。談次郎の名前で高座には上がっていない。「ふざけて遊んだだけ。シャレですよ」。それでもシャレに対してシャレで返してくれた談志さんに感謝している。

 前座時代から談志にかわいがられた。東横落語会の楽屋だった。トリを務め戻って来た談志は高座の出来に納得がいかなかった。「ウチを出るときはやる気があったけど、だんだんイヤになっちゃった。ひでえのやっちゃったな」。周りは「そんなことないです」と取りなす人ばかり。談志と目があった楽太郎は「師匠は飽きているんですよ。『立川談志はもっとできるはず』だと…。師匠がやっていればそれだけでいいんです。お客さんは立川談志を聞きに来ているんだから、普通にやればいいじゃないですか」。すると談志は「お前に言われるとは思わなかった。悔しいネ」。それから、談志は「楽太」と呼びかわいがった。

 自宅にも伺い、「三方一両損」などの落語の稽古も付けてもらった。まるでストーカーのようにつきまとうと、談志は問いかけた「お前、オレの後をずっと付けてくるけどどうしてだ?」。「好きだからです」その言葉に談志さんはうなった。「ヨイショもそこまで来るとすごいな。そう言われちゃ、どうしようもねえな」ニヤリと笑った。

 円楽の師匠の5代目・円楽と談志はライバルであり盟友だった。5代目は楽太郎に6代目として名跡を譲ることを決めたが、披露目を見届けることなく2009年に亡くなった。師匠の葬儀を終え、当時・楽太郎は談志に電話をかけた。

 「今から伺ってもいいですか?」

 「何でだ?」

 「自分の思い出の中の時代を埋めたくて」

 「ならば来い」

 自宅を訪れると談志は思い出話をしてくれた。「円楽も背負うものが大きすぎたな。協会を出て、若竹を作って…。オレも(協会を)出たけれど…」。

 5代目・円楽は生前、「談志より先に死にたくない。何を言われるか分からないから」と話していたが、その死去に対し談志はマスコミに「一緒の時期に入門し、ともに若い時代を過ごしました。残念です」とコメントしただけで、沈黙を守った。それだけに自宅で2人で話した会話は心に残っている。

 ◆病を押して襲名披露に出席

 翌年の円楽襲名披露パーティーに、談志は病を押して出席して爆笑スピーチを行った。新橋演舞場での襲名披露公演にはサプライズで登場、口上に参加。終演後の打ち上げにも顔を出してくれた。

 円楽は談志の優しさを感じていた。「『全さん(5代目円楽の前名は全生)、あんたは向こうに行っちゃったけど、オレはお前の弟子にちゃんとやってあげてるぞ。楽太の面倒はちゃんと見たぞ』ってね。後付けだけど、そう思うんです」。

 襲名披露を終えた翌2011年の春だった。お礼とともにその秋の「博多・天神落語まつり」に出演してもらおうと、連絡を入れたが、談志の長男から「今、会えないんです」と言われた。「後ろから計算すると、そうだったんだなって」。談志は気管切開をして声を失っていた。

 「オレが感謝しているのは、談志、円楽という2枚看板がしのぎを削ってくれた。その間においてもらえたこと。いたずら坊主が生意気なことをやってもゆるしてくれた」。

 今でも考えることがある。「ウチの師匠と談志師匠の違いを考えるんです。ウチの師匠は『笑点』で落語家を売ってくれた。談志師匠は落語が好きで、落語を売った。(ラジオから)テレビ時代になって『落語はどれだけ素晴らしいか』っていうことをセールスしてくれたと思うんです」。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆三遊亭 円楽(さんゆうてい・えんらく)本名・会泰通(あい・やすみち)。1950年2月8日生まれ。69歳。青山学院大在学中にかばん持ちのアルバイトをしていた5代目・三遊亭円楽に誘われ入門し「楽太郎」。76年に二ツ目昇進。77年に日本テレビ系「笑点」のレギュラーに。78年に師とともに落語協会を脱会し、落語三遊協会(後の円楽党、5代目円楽一門会)へ。81年に真打ち昇進。10年3月に6代目・円楽を襲名。17年に落語芸術協会に客員加入。

【特集・立川談志】
三遊亭円楽
2010年3月、楽太郎改め6代目三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席した立川談志(左、右は6代目・円楽)
落語家の立川談志(左)が、楽太郎改め六代目・三遊亭円楽襲名披露パーティーに出席(右は三遊亭好楽)
すべての写真を見る 3枚

芸能

宝塚歌劇特集
NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請