“YAWARAちゃん”と振り返る平成五輪 感動ドラマは令和でも…谷亮子さんインタビュー

五輪で獲得した5つのメダルを前に、当時を振り返った谷亮子さん(カメラ・小泉 洋樹)
五輪で獲得した5つのメダルを前に、当時を振り返った谷亮子さん(カメラ・小泉 洋樹)

 平成は、日本人アスリートが世界へ大きな飛躍を遂げた時代だった。夏季五輪は1992年(平成4年)のバルセロナ大会から7都市で行われた。女子柔道の谷(旧姓・田村)亮子さん(43)は初出場のバルセロナで銀メダルを獲得。出場5大会で金2、銀2、銅1と連覇を含め、全ての大会で全メダルを手にした。平成ラストデーの30日、夏季五輪を取材したスポーツ報知取材陣が思い出の五輪を振り返るとともに“YAWARAちゃん”が日本人唯一の偉業を語った。(構成・谷口 隆俊)

 ■全力の積み重ねです

 我が子をいとおしむように、谷さんはメダルを一つ一つ、両手で持ってテーブルの上に並べた。92年バルセロナ銀、96年アトランタ銀、2000年シドニー金、04年アテネ金、08年北京銅。日本選手で初めて出場5大会全てでメダルを獲得した。しかも全ての色がそろった。並んだメダルは、それぞれに違った輝きを放っている。

 「どの五輪が思い出深いとか、私の中での順位付けはありません。一つ一つに全力を尽くし、その全てはつながっている。『全力の積み重ね』なんです。15歳の福岡国際がなければ、バルセロナ五輪はなかった。人との出会いや巡り合わせに恵まれていた。女子柔道はバルセロナから正式種目になりましたから。運もあります。多くの方の応援が力になった。メダルを見ると、常に成長させてもらいながら平成を駆け抜けてきたんだなあと思う」

 ■試合待ち遠しかった

  • バルセロナ五輪決勝でノワク(右)に敗れた田村
  • バルセロナ五輪決勝でノワク(右)に敗れた田村

 90年の福岡国際。中学3年生だった谷さんは当時世界最強のブリッグス(英国)を破って初優勝し、日本中を沸かせた。世界選手権は7度制した。当時は2年に1度開催だから、彼女がデビューした年に生まれた赤ちゃんは、5度目の五輪の年には高校3年生。いかに長く、強かったのかが分かる。最初のバルセロナ五輪は銀メダル。決勝でノワク(フランス)に敗れたものの、準決勝ではブリッグスを再び下した。

 「初めての五輪は、緊張というより楽しみでした。柔道競技の最終日で、現地入りしてから2週間近くあったので、試合が待ち遠しかった。先輩方はどうメダルに絡むのか、試合場での立ち居振る舞いや場の雰囲気…。何でも吸収した。よく銀メダルが取れたなあと思う。選手の実力は拮抗(きっこう)していた。あの時の実力は銀メダルだったと、冷静になって考えると、そう思える。だから、次を目指すという思いが湧いた」

 ■金にはまだ早かった

  • アトランタ五輪決勝でケー・スンヒ(左)に敗れ放心状態の田村
  • アトランタ五輪決勝でケー・スンヒ(左)に敗れ放心状態の田村

 93年の世界選手権(カナダ)で初優勝。2年後の幕張大会で連覇し、アトランタ五輪では優勝候補となった。準決勝で宿敵サボン(キューバ)を下しながら、決勝で伏兵ケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた。

 「サボン選手とはいろいろな大会で決勝を争っていたので、準決勝が事実上の決勝という感じが確かにあった。当時の映像を見ると、彼女に勝った後ガッツポーズをしたし、少し笑みがこぼれたように見えた。勝って満足してしまった自分がいた。金メダルを期待されていたけど自分自身、もっと研さんを積んでいかないといけないと思った。アトランタでの負けに驚きはない。金メダルを取るには、まだ早かったということです」

 ■最高で金最低でも金

  • シドニー五輪決勝で金メダルを獲得した田村は、笑顔でガッツポーズ
  • シドニー五輪決勝で金メダルを獲得した田村は、笑顔でガッツポーズ

 シドニー五輪では「最高で金、最低でも金」と自らを鼓舞するように言った。決勝で新鋭ブロレトワ(ロシア)を内股で破り、悲願の初優勝だ。

 「あの言葉は熊本合宿で初めて口にした。毎回合宿で目標を尋ねられ、その時の気持ちを素直に伝えたくて、自然と出てきました。発言と同時に心は決まった。この言葉が大きな力となる。金メダルを取るためにシドニーに行くという決意があった」

 ■田村で金、谷でも金 

  • アテネ五輪で2大会連続金メダルに輝いた谷は、涙を浮かべ観客席に手を振った
  • アテネ五輪で2大会連続金メダルに輝いた谷は、涙を浮かべ観客席に手を振った

 03年、プロ野球の谷佳知外野手と結婚した。当時、結婚を機に引退する女子柔道選手が多かったが、彼女にはアテネ五輪で日本人女子個人競技では初となる連覇が懸かっていた。「田村で金、谷でも金」の誓いを立てた。

 「この時点で五輪に4度目の出場をすることだけでも光栄でしたが、心技体どれも一番充実していた。でも大会前の合宿で体育館に敷いていた畳がずれて、そこに左足の小指が挟まり腓(ひ)骨筋腱(けん)を損傷。じん帯も痛め、内出血して腫れ上がった」

 五輪発祥の地で行われる本番(女子48キロ級は8月14日)が目前だった7月12日のアクシデント。応急手当てとして患部に馬肉を貼り、熱を取ったという。

 「母(和代さん)が熊本出身で、馬肉は熱を吸収する性質があることは知っていて…。馬肉のおかげで五輪連覇です(笑い)。信条としていた『稽古に裏付けられた自信のみ』をアテネで再確認できた」

 長男・佳亮(よしあき)君を出産し、07年世界選手権(リオデジャネイロ)で優勝。「ママでも金」を実現した。

 「出産後、体を戻すのが大変で10キロの減量もあった。体調も変わり授乳もある。そういう状態で(リオ世界柔道で)『ママでも金』を達成できたことは、言葉にできないくらい込み上げてくるものがあり、ついにやり遂げたという思いがあった」

 ■感謝しかありません

  • 北京五輪で銅メダルを獲得し、メダルを見つめる谷
  • 北京五輪で銅メダルを獲得し、メダルを見つめる谷

 その実績が評価され5度目の五輪切符を獲得。北京五輪の準決勝、ドゥミトル(ルーマニア)は、組み手争いで攻めてこない姿勢を貫いたが、なぜか谷さんに指導が与えられた。世界大会ではアトランタ五輪決勝以来12年ぶりの黒星。それでも3位決定戦では、鮮やかな払い腰でロシアのボグダノワを豪快に投げ、銅メダルを手にした。

 「五輪5大会連続メダル獲得は大変長い道のりでした。長きにわたり競い合った全ての選手の皆さんが、私の能力を引き出し、高めてくれたのです。五輪を一言で言うと? 『感謝』しかありません」

 平成時代、テーブルに並んだメダルのごとく輝きを放つ、世界で最も有名な柔道家となった。国際柔道連盟は11年、史上最優秀女子選手賞を贈った。この賞を受けた選手はこれまで彼女しかいない。現在、男の子2人のママとなった。新たな令和時代は、スポーツを志す13歳の佳亮君、9歳の晃明君とともに始まる。

五輪で獲得した5つのメダルを前に、当時を振り返った谷亮子さん(カメラ・小泉 洋樹)
バルセロナ五輪決勝でノワク(右)に敗れた田村
アトランタ五輪決勝でケー・スンヒ(左)に敗れ放心状態の田村
シドニー五輪決勝で金メダルを獲得した田村は、笑顔でガッツポーズ
アテネ五輪で2大会連続金メダルに輝いた谷は、涙を浮かべ観客席に手を振った
北京五輪で銅メダルを獲得し、メダルを見つめる谷
すべての写真を見る 6枚

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請