常識をぶち破る最先端の指導で金メダル…小出監督という指導者

2013年01月、箱根駅伝復路スタート地点で関係者と話をする小出義雄氏
2013年01月、箱根駅伝復路スタート地点で関係者と話をする小出義雄氏

 2000年シドニー五輪に向け、高橋尚子は米コロラド州ウィンターパークの標高3500メートルの地で走り込んだ。当時、高地トレーニングは標高1600メートル前後が最適とされ、2000メートルを超えた場所では逆効果になるとも言われていた。「無謀」との声も聞こえてきたが、小出監督は全く動じなかった。「世界一の練習をしなかったら、世界一になんてなれない。Qちゃんには、それができるんだよ」。長年の経験から確信していた。そして見事に金メダルを獲得。さらに翌年のベルリンで、女子初の2時間20分突破も成し遂げた。

 20年も30年も先を行く指導者だった。1983年の青梅マラソン女子30キロ優勝者は倉橋尚巳、2位は古達千加。ともに小出監督が顧問を務める佐倉高校の現役陸上部員だった。インターハイの女子種目が、まだ800メートルまでしかない時代。女子高生に20キロ、30キロを走らせたら体を壊してしまうと非難されても、意に介さなかった。84年ロス五輪で正式採用された女子マラソンこそ、日本人が金メダルを獲得できる種目と信じて挑戦し続け、常識をぶち破る誰もやったことのない最先端の指導で実現した。

 無謀とまで言われることを選手に取り組ませることができたのは、40年以上も前から褒めて育てる監督の指導方針と情熱だろう。「そんなに良くないのに、監督からいいよ、すごくいいよって褒めてもらうと、私こんなものじゃないんです、もっと頑張れます!って走っちゃうんです」と高橋は振り返る。時間がもったいないからと、ゴルフも、ギャンブルもしなかった。その指導にかける熱意も、選手たちの心を動かした。酒には目がなく、「俺よー、酔っぱらっちゃったよ」と、ご機嫌に選手たちに語りかける言葉さえも、監督は計算していたのではないかと思っている。(日比野哲哉)=敬称略=

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