あの時フェースガードがあったら― 40年前、赤鬼マニエルにぶつけた八木沢荘六さんの悔恨と願い

近鉄・マニエルの死球について語った八木沢荘六さん
近鉄・マニエルの死球について語った八木沢荘六さん
元祖フェースガード付きヘルメットでプレーした近鉄・マニエル
元祖フェースガード付きヘルメットでプレーした近鉄・マニエル
マニエルの顔面死球を報じる報知新聞(1979年6月10日付)
マニエルの顔面死球を報じる報知新聞(1979年6月10日付)

 プロ野球も開幕し、球春が到来した。頬からアゴを守るためにヘルメットにフェースガードを装着した選手が増えている。数種類あるフェースガードの中でも「C―FLAP」を使用する選手は現在、NPB全12球団に広がった。元ロッテ監督・八木沢荘六さん(74)=日本プロ野球OBクラブ理事長=は感慨に浸っている。

 ◆“当てた”当事者だからこそ…

 「付けた方がいいと思う。当たってからじゃ遅いんです」。そう力説する八木沢さんは、言葉を選びながらこう続けた。「ボクは当てたほうなので…。当てて何を言っているんだと言われますけれども…」。オールドファンには、“元祖フェースガード”としてアメフトのガードを付けたものを使用した選手がいたことを覚えている人もいるだろう。近鉄のチャーリー・マニエル。マニエルがフェースガードを使用するきっかけを作ってしまったのが八木沢さんだった。

 1979年6月9日だった。マニエルは打率3割7分1厘、24本塁打と驚異の打棒で前期優勝までマジック10とチームを引っ張っていた。大阪・日生球場での近鉄・ロッテ戦。5回に1点を勝ち越し3―2としたロッテはその裏、3番手に八木沢をマウンドに送った。最初の打者がマニエル。カウント1ストライクからの2球目。インハイを狙ったボールは外れ、マニエルの右アゴを直撃した。

 八木沢さんは当時の光景を今でもはっきりと思い出す。マニエルのアゴに当たったボールが真下にボトッと落ちたこと。騒然とするベンチやスタンド。「チャーリーがくるっと振り返ると、ボクの方に(数歩)向かってきたんです。『乱闘になるかな』と思ったんです。そうしたら膝が折れてガクッと膝をついてしまって…」。マウンドを降り近くまで駆け寄った八木沢さんは、マニエルが両手で押さえたアゴから大量の血が噴き出しているのを見た。近くにいた敵将・西本監督に「どうもすみません」と声をかけると、西本監督は「お前がこういうことをするとは思わなかった」と怒気を含めた声を投げつけた。

 ◆薄暮ゲームで照明灯の影が…

 決して“故意”ではない。「実はびっくりしたんです。何で当たったんだろうって」。サインはインハイの直球。「まともにやっていたら打たれますから、インコースを投げないと…」。内角球で意識させて、最後は外角へのシュートで勝負するために“布石”のための1球だった。それでも失投ではなかったと八木沢さんは感じている。「ミット半分くらい、中に入ったとボクは感じていました」

 なぜ、死球となったのか。八木沢さんは言う。「薄暮ゲームだったんですね。6月だったので(太陽も)早く落ちない。照明灯の影がホームプレートにうつっていた」。午後3時プレーボールの試合は、5回で午後4時を過ぎた頃だったと思われる。左打者のマニエルの背中方向から、一塁側に設置された照明灯の影がホームベース付近まで伸びていた。「投げた球が影の所に入ってちょっと見づらかったのではと思います」。ナイターだったら、デーゲームだったら―。不運も重なりわずか一瞬の反応の遅れが大惨事となったと推測した。

 マニエルは「右下アゴ粉砕骨折」と診断された。過去にアゴを骨折していたため、手術は難航を極め、一部金属を使う整復固定となり約5時間半の大手術となった。

 ◆復帰でアメフト仕様のヘルメットを

 マニエルは復帰の際にアメフトのフェースガードを付けたヘルメット姿で登場。8月4日の阪急戦(西宮)での復帰戦では7回無死満塁の場面で代打出場し佐藤義則から右前に2点タイムリーを放った。約2か月、30試合の離脱にも関わらず37本塁打で近鉄を初優勝に導きMVPを獲得した。

 マニエルが入院していた際に、病院へのお見舞いを願い出た八木沢さんだったが近鉄球団から断られたという。マニエルの復帰後、球場の一室で両球団の通訳を交えて対面した。「当ててしまって申し訳ない。故意ではなくピッチングの中での1球だった」と話す八木沢さんに対し、マニエルは「分かった」と答えた。それでも「あれは(ロッテの山内)監督の指示。ベンチが当てろと言った」と主張は曲げず、握手など“完全和解”はなかったという。

 ◆プロ野球OBクラブの認定商品に

 八木沢さんは「本当に彼には申し訳ないことをしたと今でも思っている。当てたことは事実だから」と言う。今回、「C―FLAP」を使用する選手が増えて、フェースガードに注目が集まり、八木沢さんが理事長を務める日本プロ野球OBクラブでは「C―FLAP」に注目。衝撃吸収性試験の結果など安全性を確認し、理事会で推奨商品として認定した。

 「彼(マニエル)も(当時)着けていたということは、これは着けなければダメなんだと意味だと思うんです。逃げる練習もしなくてはいけないですが、スポーツは本来危ないもの。だからこそ、危険から守る、危険を出来るだけ和らげるということが必要になってくる」と八木沢さんは力説した。

 現状では、高校野球、大学野球、社会人野球などのアマチュア球界では使用が認められていない。全日本野球協会のアマチュア野球規則委員会は3月8日付で「打者用ヘルメットのフェイスガード取り付け等の改造禁止について」の文書を出し、従来から禁止されているルールを継続する姿勢を見せている。

 ◆第2のオレを出さないために…

 「規則があるのであれば、それを変えて行くべき。早くしなければ、第2のオレ、第2のチャーリーが出てきてしまう。大けがする人が出てからでは大変なことになってしまう。早くルール改正をして、特に未来のあるアマチュア選手には着けて欲しい」。40年前の“当事者”八木沢さんが発する言葉は、深く、そして重い。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆八木沢 荘六(やぎさわ・そうろく)1944年12月1日、栃木生まれ。74歳。作新学院高では2年春にセンバツ出場。3年春は優勝。夏はチームは優勝も赤痢のため登板なし。早大に進み、1966年の第2次ドラフト1位で東京(現ロッテ)に入団。73年には完全試合を達成。79年で引退。通算71勝66敗8セーブ。防御率3・32。1200イニングで与死球は42。92年から3年間、ロッテの監督を務めるほか、西武、阪神などで投手コーチを歴任した。

 ◆チャーリー・マニエル(Charles・manuel)1944年1月4日生まれ。75歳。ツインズ、ドジャースでプレーし、76年にヤクルト、78年オフにトレードで近鉄移籍。81年にヤクルトでプレー。ヤクルトと近鉄の初優勝に貢献。帰国後は指導者となり、2008年にはフィリーズを世界一に導く。日本では621試合、189本塁打、491打点。メジャー監督としては1000勝(827敗)。

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