「nWo」創始者エリック・ビショフ氏が明かす新日本プロレスとの秘話〈1〉…マサ斎藤さんとの思い出

エリック・ビショフ氏
エリック・ビショフ氏

 1990年代に米国で「WWE」と並ぶプロレス団体「WCW」の現場責任者で副社長だったエリック・ビショフ氏(63)がこのほど、来日しスポーツ報知の取材に応じた。ビショフ氏は、90年代に新日本プロレスと提携し96年に日米のマット界を股にかけたユニット「nWo」で一大旋風を起こした。新日本との提携では、当時の渉外担当で昨年7月14日に75歳で亡くなったマサ斎藤さんと協力し、新日本のドームツアーの成功にも尽力した。「Web報知」では、ビショフ氏に当時の秘話とこれからのプロレス界の進む道を連載します。1回目は、昨年7月に75歳で亡くなったマサ斎藤さんとの思い出。

 ビショフ氏は、1955年5月27日、米国デトロイトで生まれた。幼少の頃からプロレスに魅せられ、1980年代に入り当時、バーン・ガニアが仕切っていた「AWA」で暴れていたマサさんのファイトをテレビで見た時、その存在感に圧倒された。

 「AWAで戦うマサをAWAで見た時から彼のファンになりました。テレビで見たマサの印象は、少年だった私から見て怖いイメージで、観客をビクビクさせるインパクトがあった」

 マサ斎藤は、明大在学中にレスリング全日本選手権でグレコローマン、フリーの両ヘビー級で優勝し1964年の東京五輪にレスリング日本代表で出場した。卒業後の65年4月に日本プロレスに入団し6月にデビュー。66年6月からは豊登とアントニオ猪木が旗揚げした東京プロレスに移籍するも同団体がわずか半年あまりで崩壊。その後は、フリーとして渡米し本場、米国マットでヒールとして活躍した。ビショフ氏がAWAマットで暴れるマサさんを見た時は、38歳とまさに脂がのった時期だった。

 「マサはインタビューで英語をしゃべらなかったため、余計に存在がミステリアスだった。ところが、リングに上がれば、群を抜いた強さとオリンピックまで登りつめた確かなテクニックで、実に堂々としていた。そういう説得力を持つレスリングスタイルが拍車をかけ抜群の存在感を持つ威圧的なヒールとして君臨していた」

 記憶の中で覚えている試合がある。

 「(ジェシー)ベンチュラとの試合を覚えている。後は、ケン・パテラとのタッグも忘れられない。パテラは、ミュンヘン五輪に出場した重量挙げの選手でパワーがあり、一方のマサは、レスリングの基礎がしっかりしていたため、2人のタッグには説得力があった」

 中でもパテラとマサさんは、84年4月に警官への暴行でおよそ2年間に渡って服役することになる運命を共にしたが、事件は、パテラを守るために警官の盾になったことでマサさんが逮捕されたことが真相だった。リング内外で男気あふれるマサさんは、ビショフ氏にとって憧れだった。時を経て、ビジネスで交わる時が来る。1994年。ビショフ氏はWCWの現場責任者となり、新日本プロレスと提携交渉に臨んだ。それは、恐怖の対面だった。(取材・構成 福留 崇広)

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