五輪おじさん、阿部定とも知り合いだった

五輪おじさんこと山田直稔さん
五輪おじさんこと山田直稔さん

 ど派手なゴールドハットと日の丸の扇子で、五輪会場などで日本を応援した「五輪おじさん」こと山田直稔さんが、亡くなった。92歳だった。

 初めて山田さんを取材したのは2008年北京五輪前の5月。都内の自宅マンションとは別室に構えた事務所で話を聞くことになり、「忙しいから30分だけだぞ」と注文されたが、終わってみれば3時間も話を聞かせてもらった。

 山田さんは富山県井波町生まれ。日大工学部建築学科卒業後、ワイヤロープ業界に入り、60年に「浪速商事」(東京・江東区)を設立。ホテル、不動産業などの社長を経て会長職に。後にどっぷり漬かることになる五輪応援は、高度経済成長期の時代だった1964年東京が初めてで、以来、五輪の魅力にとりつかれた。いつしか応援がライフワークとなり、84年ロサンゼルス五輪からは「国際オリンピック応援団長」の肩書もついた。日本がボイコットした東西冷戦時代の80年モスクワ五輪にも足を運び、「日の丸は持って行かずにソ連と五輪の旗を持っていきました。もちろん開会式から閉会式まで見届けましたよ」と話していた。

 大相撲、全国草野球の応援団長も自称し、「俺はスポーツ、政財界にも多数の人脈があるんだ」とドヤ顔で豪語していたのを覚えている。数多くの有名人とからんだツーショット写真、“五輪おじさんコレクション”が事務所にあふれていたのも覚えている。

 巨人軍の原監督の第1次政権前にはプライベートでツーショット撮影にも成功。「いつ撮ったか覚えてねぇんだ。すまん。でも情熱の塊みたいな熱い人だったなぁ。巨人もがんばれよ!」と話していた。

 04年アテネ五輪の会場では卓球女子の福原愛さんともちゃっかり写真を撮った。「愛ちゃんは中国でも人気者だったねぇ。北京の開幕式では日本選手団の旗手をやって欲しいな。おじさん、ものすごく応援しちゃうよ」とドヤ顔だった。アテネ五輪に出場した柔道の谷亮子さんからも日の丸に応援のサインをもらい、「結婚前でまだ田村姓だったな。笑顔の似合う素晴らしい人ですな」と話していた。

 そんな山田団長に度胸をつけた意外な人物がいた。1936年の猟奇事件「阿部定事件」の阿部定が、その人。不倫関係にあった小料理店の経営者と無理心中をはかったが男性は死亡、遺体から性器を切り取った人物として知られる。山田さんが出会ったのは定の出所後で、まだ学生のころだったという。「『あんた、男は人生一代だよ!』と言われた言葉がとても印象に残ってます」。

 数多くの逸話を残した山田団長。来年に迫った2度目の東京五輪は、きっと天国から日本代表を精いっぱい応援してくれると思う。(小河原 俊哉)

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