15歳・田村亮子デビューV〈2〉柔道始めて4か月で男子5人抜き

櫛田神社の奉納試合で5人抜きを決めた田村亮子(左)
櫛田神社の奉納試合で5人抜きを決めた田村亮子(左)

 1990年の福岡国際女子柔道48キロ級で世界女王を倒し、国際大会初出場Vを決めた田村亮子(現姓・谷)。“デビュー戦”から衝撃的だった。

 小2だった83年10月、博多・櫛田神社での奉納試合で、男の子を5人抜きする離れ業を見せた。すべて背負い投げで一本勝ち。2人は打ち所が悪く脳しんとうを起こして病院に運ばれた。「小学校高学年のお姉ちゃんが男の子を投げているのを見てカッコいいな」と思って柔道を始めてから、わずか4か月後のことだ。

 当時、ピアノと習字も習っていたが、亮子はすぐ柔道の魅力にハマった。「道場には優勝旗がたくさん飾ってあって、強いチームなんだと思った。練習で笑っている子は誰もいない。(師範の)稲田明先生はビシビシと厳しかったけど、その雰囲気が好きでした。『真剣にやる』ムードに引きつけられた」。才能の片りんをいきなり見せた。130人ほどが稽古を積む道場で最初の1~2か月は受け身の練習だけ。これがしっかりできないと技がかけられないからだが、亮子は2週間ほどで“卒業”。乱取りができるようになった。

 柔道の練習を休んだ記憶はほとんどない。「稲田先生は『1日休むと、取り戻すのに3日かかる』と。ライバルもいたし、学年で1番にならないと試合に出られないから、天気が悪くても、体調が悪くても、道場に行った。まさに『柔の道は一日にしてならずぢゃ』。本気で思っていました」。漫画「YAWARA!」に出てくる言葉を“信条”にしていた。台風の日も通い、たった1人、道場に座っていたという。

 2歳で補助輪なし自転車に乗れた。「補助を外して、と自分で言ったみたい。みんなのにはないのに、私だけ付いていたから。危ないからと言われたけど、すぐに乗れた」。柔道と並行し、「母(和代さん)の勧めで、近くの乗馬クラブで。小2の4月から高学年まで乗馬もやりました」。小5の時、121センチ、25キロだったが、全力で馬を走らせることができた。「海岸沿いで『暴れん坊将軍』ばりに走っていました」。乗馬は世界のトップになっても続けた。「試合の前とかは馬に乗りに行って、『躍動感』を感じていた。五輪前もトレーニングの一環でちょくちょく乗りに行っていました」

 「左右とも、同じスピードで技をかけられる」(稲田師範)ことが亮子の強み。「稲田先生に教わったことで、私の原点。先生との乱取りで、タイミングなど体で覚えました。社会人になった時も、理想の形は小学校の時に覚えたこと。先生には感謝しています」。これも抜群の運動神経があればこそだった。(谷口 隆俊)

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