元DeNA投手・加賀繁さん、スクールコーチに転身し野球人生振り返る〈上〉

加賀さんはDeNAの中継ぎ右腕として活躍した
加賀さんはDeNAの中継ぎ右腕として活躍した

 昨年までDeNAの主に中継ぎで活躍した加賀繁さん(33)は、ピッチャーらしくない優しい性格、本格的な投手挑戦は大学からという異色の元投手を取材した。

 加賀さんは、横浜市内で取材に応じた。「野球を上(スタンド)から見るようになって、ちょっと不思議な感じですね」。昨年までならキャンプで体をいじめている時期。私服での穏やかな口調は現役を終えてホッとした様子にも見えた。

 埼玉・川越市出身の加賀さんは、小学4年から地元の学童軟式チーム・寺尾パワーズで野球を始め、中学では硬式の川越ボーイズに入った。「実は硬球は痛そうでいやだったんです。だけど学童の先輩から誘われて仕方なく『じゃあ入ります』という感じでしたね」。プロで活躍した投手は「子どもの頃は目立ちたがり屋で自己中心的」と紹介されることが多いが、加賀さんは違ったようだ。指導した川越ボーイズ・昆勝也監督(74)をはじめ少年時代の加賀さんを知る人たちは「無口で優しい子だった」と口をそろえる。

 だが、それだけではなかった。「とにかく負けず嫌いでした。練習試合でも絶対負けたくなかった」と明かした加賀さん。口数は少なかったが「ボールを打ったり投げたりするのが好きで、うまくなりたかった」と練習では誰よりも早く休憩を切り上げ、仲間を誘ってキャッチボールを始めていた。そんな姿勢が実を結び、加賀さんが中3の夏、川越ボーイズは中学硬式最高峰の大会・ジャイアンツカップ初出場を果たしている。

 当時はサードが本職だった。「投げるのは主にダブルヘッダーの2試合目。最初の試合でエースが(投球回数制限いっぱいの)7回を投げて勝った時、次の試合の終盤にリリーフしました。先に投げたピッチャーが打たれて監督がメンバーを見渡し『そうだ、お前いけ』という感じでしたね」と加賀さんは笑って振り返る。昆監督は「その頃はオーバースロー。肩が強くて球威がありましたが、ストレートがシュート回転し、カーブ、スライダーはうまく投げられなかった。打力があったから野手としてならともかく、ピッチャーでプロに行くなんて夢にも思わなかった」と本音を隠さなかった。

 強豪校への進学を望んだ加賀さんは、昆監督の勧めで宮城の高校のセレクションを受けたが、結果は不合格。内野手でのチャレンジだったが「同じタイプの選手はたくさんいるから要らないと言われた」。埼玉平成高に進み、そこでも三塁手兼投手。甲子園出場はならなかったが、3年秋に関係者の紹介で上武大のセレクションを受けた。その時に出会った名将・谷口英規監督(49)が、加賀さんの野球人生を大きく変える。(構成・芝野 栄一)

 ◆加賀 繁(かが・しげる)1985年4月13日生まれ。33歳。埼玉県生まれ。川越ボーイズ、埼玉平成高時代は三塁手兼投手。上武大で本格的に投手に転向し、住金鹿島を経て09年ドラフト2位でDeNA(当時横浜)に入団した。18年秋に引退するまで主に中継ぎとして活躍。通算279試合に登板、12勝22敗1セーブ、72ホールド。右投右打。182センチ、84キロ。現在はDeNA球団職員でベースボールスクールコーチを担当。

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